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20   年賀状を書き始める季節だが   

10月30日(金) 00:00

◆10月29日のKCTワイドで、倉敷郵便局でも年賀状の発売が始まったニュースを取り上げた。毎年のことながら、新年へ向けてだんだんと背中を押されるような気分になってくる。今年こそは早く書き始めたいと思うのだが、逆に年々取り掛かるのが遅くなっているような気がしている。

◆自分の横着さが第一の理由だが、年賀状を書く前に気になるのが「年賀欠礼状」である。例年、11月の中ごろから届き始めるが、年とともに増えているような気がしてならない。遠くにある友人、知人たちも同じように年を重ね、ましてその親となると…。さらにいたたまれないのが、同世代や後輩の遺族から届く葉書だ。

◆「新年のご挨拶を申し上げるべきところ、喪中につき…」。そう印字された葉書を受け取ると、どうしても新しい年へ向かう気分が萎え、その人との過去の日々へと誘われるようだ。若いころ法事の席で住職に「供養するとは、分かりやすく言うとどういうことですか」と尋ねたことがある。住職は若い私に丁寧に答えてくれたが、覚えているのは最後の一言だけだ。「要するに供養とは、亡くなった人を思い出してあげることです」。

◆遠方からの年賀欠礼状には、初めてその人の死を知ることも少なくない。「便りがないのは、無事な証拠」とは、よく言ったものである。久しぶりの便りが、年賀欠礼になるとは。今年は自分の方から出さずに済みそうだが、既に何件かの訃報は届いている。その人たちの分も含め、何通かは受け取らざるを得ないのだろう。

◆西欧には「時が過ぎるのではない。人が過ぎていくのだ」ということわざがあるそうだ。毎年のことながら、これから年末に向けては、人の死を思う時が増えてくるようだ。家の郵便受けを開けるのに、気が重くなる季節が近づいてきた。