4月29日(木) 00:00
◆近くに住んでいる倉敷市民でも、訪れた人は案外多くはないのではないだろうか。美観地区のアイビースクエアにある「倉紡記念館」である。開設されたのは、クラボウ創立80周年記念の昭和44年というから、もう40年を超す歴史を刻んでいる。私自身、初めて入ったのは3年前のことだった。
◆その時は、第1室「明治時代」から第2室の「大正時代」を通って、第3室の「昭和時代(戦前・戦中)」に進んだ時、棟方志功が襖に描いた書画が、強烈に目に飛び込んできた。戦時中の昭和19年、当時の大原總一郎社長から従業員の心のよりどころとなる作品を、と依頼された棟方が「玉琢かざれば器とならず、人学ばざれば道をしらず」との文字を書いていたものだ。以後、時折この襖を見たくなって、2度、3度と通っている。
◆5月開幕の「上海万博」リハーサルのニュースを見ていたら、倉紡記念館のもう一つのお目当てである第4室「昭和時代(戦後)」にある70年大阪万博「せんい館」コーナーを思い出した。上海万博リハーサルの各パビリオン前の行列と、会場の雰囲気が大阪万博によく似ていたからだろう。40年前の大阪万博もどこも大変な混雑が伝えられていて、私はただ一つ、何時間並ぼうと「せんい館」だけを見ようと決めていたものだ。
◆当時、映像作家の松本俊夫に心酔していたこともあり、松本が総合ディレクターを務める同館の4面の大スクリーンに投影されるスペースプロジェクション「アコ」だけは見たかったからである。振り返ってみても、日本の産業の老舗である繊維業界、民間企業体によるパビリオンで、新しい映像空間と出会えたのは驚きである。
◆当時32歳だったイラストレーター横尾忠則による建築工事途中の外観のパビリオンやポスターも忘れがたい。その中で上映された15分の「アコ」は、10台の映写機と57台のスピーカーで、眠っていた感覚を呼び覚ましてくれるような心地良さがあった。もう2度と体感できないが、倉紡記念館を訪ねるたびに、あの空間の記憶はよみがえってくる。