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32   男子高校生たちの涙

3月15日(月) 00:00

◆KCTの毎春の恒例となった「高校卒業式シリーズ」。この企画には毎年、私自身涙腺が緩んでいるが、今年は特に1回目の玉野高校、2回目の玉野光南高校での男子高校生たちの涙には泣けたし、驚きもした。人目をはばからず、というのだろうか。あれだけの涙を流せるのは、きっと充実した3年間を送ってきたからだろう。その素直な感情表現には好感が持てた。

◆「男は泣くもんじゃない」。一世代前の人には、そんな言葉が頭の中に残っていないだろうか。歴史を見ても、近年、日本人は泣くことは少なくなっているという。昭和15年に出た民俗学者の柳田国男著「涕泣史談」などが指摘してきたところだ。明治以降の「富国強兵」の風潮の中で、男は人前で泣くことを抑えられ、戒められてきた。時には卑しめられ、素直に泣くことが難しくなった。          

◆司馬遼太郎も「世に棲む日日」の中で「人間は中世よりも近代に入ると、泣かなくなった。中世ではよく泣いた」と書いている。そして「中世よりもはるかにくだった吉田松陰の時代ですら、人間の感情は現代よりもはるかに豊かである」と続けている。

◆松陰は泣きに泣いている。友人と別れる酒の席で、会話が途切れるほどの涙を流す。翌朝、友を見送る時にも、道に立ったまま号泣する。堂々と臆せず、心の底から泣く。そして友の名を絶叫する…。小説の表現上の誇張はあるのだろうが、情熱がほとばしるような幕末維新の人間像が立ち上がってくるようだ。

◆戦後、大きく変わってきたといわれるのがスポーツの世界である。「根性論」全盛のころは、涙は隠すのが美徳とされてきたようだ。だが、最近はオリンピックをはじめ、プロスポーツの世界でも、喜び、悔しさに限らずテレビカメラの前で、男が泣く姿は特別なことではなくなってきたようだ。無理に隠そうとせず、涙のコミュニケーションが当たり前に語られる時代になりつつあるのだろうか。