倉敷市立中島小学校の児童が地元出身の漢学者・三島中洲について学ぼうと、ゆかりの地を訪れました。
三島中洲の歯を埋葬した碑が残る倉敷市中島の実際寺や生家跡を訪れたのは5年生の児童169人です。
中島小では地域の偉人について深く学ぼうと、10年ほど前から三島中洲をテーマにした総合学習の授業を5年生が受けています。
幕末から明治、大正時代にかけて活躍した漢学者の三島中洲は備中松山藩を再建し財政再建の神様と呼ばれた山田方谷の一番弟子で、現在の二松学舎大学の創立者として知られています。
児童たちは地域の住民有志でつくる「中島学区郷土を学ぶ会」のメンバーから、三島中洲が現在の東京大学の教授や、大正天皇の教育係を務めたことなど様々な功績についての話を聞き、メモを取るなどしながら熱心に学んでいました。
児童たちはこの授業で三島中洲について学んだことを二学期中にクラスごとにまとめることにしています。