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    <title>KCT デスクコラム</title>
    <link>http://tv.kct.jp/</link>
    <description>KCT コミュニティーチャンネル 番組ラインアップ</description>
    <language>UTF-8</language>
    <lastBuildDate>Sun, 29 Jan 2012 03:15:01</lastBuildDate>
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      <title>68　　　　９時間３８分の白黒映画</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=KCHTKY</link>
      <description>◆確か上映は、朝の１１時に始まった。映画館を出た時は、夜の９時を回っていたはずだ。２度の食事は館内の売店の弁当とパンだったか。６部作、上映時間合計９時間３８分の映画「人間の條件」（小林正樹監督）の一挙上映を見たのは、社会人になって間もないころの岡山の映画館だった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆１９５９年から２年にわたって制作され、２部ずつ公開された。中学生のころで、評判は耳に入っていたし、大ベストセラーになった長編の五味川純平原作は高校時代に読んでいた。残念ながら当時はリアルタイムで見る機会がなく、社会人となって初めて、それも一日映画館に入り浸って、全６部作を通して見ることになったのだった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆あれから４０年近く、今度は８月１５日の終戦の日から１部ずつ、６夜にわたってＮＨＫのＢＳで見直すことになった。テレビでというのは、いささか抵抗感もあった。が、やはり初日に見てしまうともうやめられなくなった。もがけがもがくほど、矛盾だらけの世界に引き込まれるかの人間としての“條件”。それを真正面から捉えながら、エンターテインメントとしての作りを忘れていない。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆旧陸軍の内務班の描き方は、引き締まった舞台劇をみるようだった。役者達が、揃いも揃って面白い。南道郎、千秋実、桂小金治、藤田進、多々良純、そして、若き日の佐藤慶、田中邦衛といった面々。最近のテレビドラマのさらっとしたスピーディーな展開に慣れた目には、彼ら一人ひとりのずっしりとした存在感は新鮮でさえあった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆奥行きのある白黒画面が、やはり映画ならではの重みを伝えてくれる。映画とは化学的にフィルムに定着された作品であり、テレビは電気的に変換して事象を伝えるもの。だが、急速なデジタル化の流れの中、映画の定義があやふやになっている。フィルムを使わない映画さえ登場してきた。「人間の條件」の密度の濃い画面は、そんなところまで思いを運ばせる。</description>
      <pubDate>Mon, 12 Sep 2011 16:24:05</pubDate>
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      <title>67　　　倉敷美観地区には落語が似合う</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=EHMHKD</link>
      <description>◆二十数年前、東京にいた３年間、月に一度ぐらいのペースで寄席に通った。上野の鈴本演芸場、浅草演芸ホール、新宿末廣亭など、あの場内の空気が懐かしい。ほかにも都内のあちこちのホールなどで落語を聞く機会はあった。若手落語家が修業のため、居酒屋で一席というのもあった。時には野次られながらも、酔っ払いを笑わせるのは、腕を磨くにはいい場なのだろう。&lt;br&gt;　　&lt;br&gt;◆野次といえば、浅草演芸ホールで、場内の空気を凍らせる場面に出くわしたことがあった。司会業の方が忙しいのではないかと思うぐらい、テレビに出ずっぱりのある噺家が、とちったため痛烈な野次が飛んだ。「こりゃ！　テレビにばっかり出とらんで、修業せんかい」。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆野次が場内を凍らせたのはいうまでもない。だが、さすがは噺家。どうかわしたのかはよく聞き取れなかったのだが、自分以外の原因に転嫁するような見苦しい言い訳はしなかったようだ。客席の笑い声の中、落語の流れの中に場の空気をうまく引き戻した。「プロとは言い訳をしない人である」とはよく言ったものだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆先日、久しぶりに生で落語を聞く機会があった。倉敷物語館で開かれた第１回「倉敷まちや寄席」である。高座に上がるのは、「噺の会じゅげむ岡山支店」の４人のアマ噺家たちだ。だが、「素人落語の会」と銘打っているが侮るなかれ。大学時代に落語研究会に所属した人もおり、いずれも落語歴は長い。５０代から６０代の４人、それぞれ自分流の語りを持っており、正直、寄席の前座や居酒屋で聞いたのよりレベルは上と見た。&lt;br&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br&gt;◆９年前から岡山市内を中心に定期公演会を続け、施設などの慰問活動にも積極的に取り組んでいるそうだ。これまで倉敷ではなじみが薄かったが、倉敷物語館の和室は落語をやるにはぴったりだ。美観地区には、落語が実によく似合う。１０月には第２回の「倉敷まちや寄席」も計画しているそうで、この日の客席からは「ぜひ倉敷名物に」との声も聞こえた。これからも気軽に通いたい。何と言っても「素人ですから御代はいただきません」のだそうだから。</description>
      <pubDate>Wed, 3 Aug 2011 19:24:16</pubDate>
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      <title>66　　　　それぞれの「故郷」</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=EHMYMG</link>
      <description>◆東日本大震災の発生以降、唱歌「故郷（ふるさと）」をよく耳にした。被災地の小学校や中学校の卒業式で歌われていた。避難所でのブラスバンドによる演奏があった。日野皓正のトランペットは心に染みた。いずれもテレビを通してだったが、震災後の「故郷」には特別の感情が生まれてくるようだった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆子ども達がそれぞれの避難先から久しぶりに顔を合わせて、一緒に歌った「故郷」は、どんな感情を呼び覚ましたのだろうか。自分達の故郷は無残なまでに破壊されてしまっている。「如何にいます父母」「いつの日にか帰らん」…。こうしたフレーズを聞くだけでも、たまらない気持ちになってくる。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆高野辰之作詞、岡野貞一作曲コンビによる文部省唱歌の代表曲とされる。誰もの心の底に眠る遠い日の記憶を呼び覚ます歌として、今に歌い継がれてきた。明治以後の日本人の原点とまで称されてきた。だが、そのメロディーの中には「賛美歌の音階がしのびこんでいる」ことは、音楽関係者が指摘してきたところである。作家で東京都副知事の猪瀬直樹さんの１９９０年刊の著書『唱歌誕生―ふるさとを創った男』は、その点でも興味深かった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆作曲の岡野貞一は、鳥取市生まれ。岡山市東部にあったキリスト教系の薇陽学院で学び、オルガンを習っている。「桃太郎」「朧月夜」「春の小川」「春が来た」「紅葉」など、数々の唱歌を作曲した才能は、ここで米国人宣教師によって見出されたという。東京音楽学校卒業後は、母校の教壇に立ちながら、終生日曜ミサでオルガンを弾いたというから、その曲に賛美歌の旋律がしのび込まないはずはないだろう。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆倉敷市内で先日、フォークシンガー小林啓子の「故郷」を聞く機会があった。賛美歌の旋律がしのび込んでいるというメロディーに、日本のジョーン・バエズと称された透き通った声が、故郷の光景や家族に思いをめぐらせた言葉を綴っていく…。１６日、１７日のＫＣＴスペシャル「うたかたり」で、この時の模様を流した。一つでは括れない、一人ひとり違う、それぞれの「故郷」が広がっていったのではないだろうか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;　</description>
      <pubDate>Thu, 28 Jul 2011 17:58:11</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>65　　　東北・奥州の祈り</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=EHMKCH</link>
      <description>◆３年前の２００８年夏、岩手県の平泉町を訪ねた。東北新幹線の一関から在来線に乗り換えて８分。駅前に広がる風景の中に人影はほとんどなく「これが観光地の表玄関か」と拍子抜けするほどの静けさだった。にぎやかに人を呼び込む土産物店も見当たらない。少し前にユネスコの世界遺産登録が見送りになった落胆が、町に漂っているような寂しさだった。&lt;br&gt;　　&lt;br&gt;◆だが、さすがに中尊寺に登る参道や金色堂周辺には人があふれていた。その時の旅の主な目的の一つは、境内にある宮沢賢治の詩碑「中尊寺」を見ることだった。                         &lt;br&gt;　　　　　「七重の舎利の小塔に&lt;br&gt;　　　　　　蓋なすや緑の燐光&lt;br&gt;　　　　　　大盗は銀のかたびら　&lt;br&gt;　　　　　　　　　　　　　…　&lt;br&gt;　　　　　　手触れ得ね舎利の寶塔&lt;br&gt;　　　　　　大盗は禮して没（き）ゆる」&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆詩碑は金色堂に通じる道の木立の中にすぐに見つかった。「大盗」をめぐっては、栄華を誇った藤原四代を討った源頼朝説が有力なようだ。奥州仕置きの豊臣秀吉説もある。何よりここ東北・奥州は、金色堂が出来る遥か前から、アテルイたち蝦夷（えみし）討伐に代表されるように、ヤマトから目の敵にされた土地なのだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆蝦夷征討のため派遣される大いなる将軍を「征夷大将軍」と言う。源頼朝から徳川慶喜まで約７００年、兵権と政権を掌握する日本の最高権力者に冠せられた名称が、なぜ「征夷」だったのか。それほどまでに奥州を恐れたのは、何だったのか。だが、平泉に来てみると、「大盗」の正体を詮索するよりも、賢治の心象世界の中で描かれた理想郷「イーハトーヴ」を重ねたくなる。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆あの時から３年、再挑戦が実って６月２６日、「平泉の文化遺産」が世界遺産に登録された。うれしいニュースだった。もっとも観光客は増えるだろうが、フッと思い浮かぶのが、３年前の駅前や毛越寺で感じた独特の静けさと寂しさだった。あの古都を偲ばす空気感だけは失って欲しくない。約９００年前の人々が浄土思想として表した鎮魂と平和の地から、賢治のイーハトーヴへ。それはどんな「大盗」にも犯されない、東北・奥州の祈りなのだ。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</description>
      <pubDate>Wed, 17 Aug 2011 11:26:51</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>64　　　　地方の劇場で地元の物語を</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=EHMEHM</link>
      <description>◆愛媛県の東温市は、松山市の東にある。６年前、ここに「坊っちゃん劇場」が出来るまでは、「東温」という名前さえも聞いたことはなかった。ところが、劇場が出来てからというもの、毎年５、６回は通うようになった。地方では初めてのミュージカルの常設劇場。しかも１年に上演するのは１作のみだ。つまりリピーターとして同じ作品を年に５，６回見て来たことになる。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆秋田県のわらび座との共同出資で劇場が完成オープンしたのは、６年前の４月２２日だった。劇場の杮落としに立ち会えるのは、生涯にそうあることではあるまい。第１作は「坊っちゃん！」。漱石がミュージカルに？　ジェームス三木の脚色・演出による舞台は、そんな心配を吹き飛ばしてくれた。面白い原作が、見事に面白くさわやかな舞台として甦っていた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆続いて四国の狸伝説に材をとった「吾が輩は狸である」。第３弾の「龍馬！」は好評で、１年の劇場公演の後、全国を回り、倉敷でも上演された。４作目が「鶴姫伝説～瀬戸内のジャンヌダルク」、昨年の第５作「正岡子規～明治を駆け抜けた男たち」だった。いずれも愛媛県を中心に四国から物語を発信しようという、意欲的で地方の誇りを感じさせる舞台が続いている。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆そして今年４月スタートした第６弾が「誓いのコイン～ロシア兵をもてなした松山」である。日露戦争当時、松山市に置かれたロシア兵捕虜収容所が舞台だ。過去５作の主演はわらび座の俳優だったが、今回初めてわらび座以外の役者が主演を演じている。何とＫＣＴエリアの玉野市出身の四宮貴久さんである。先月帰省した際には、ＫＣＴワイドへ舞台衣装のロシア兵の軍服を着て生出演してもらった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆番組での熱い語りからも、四宮さんが坊っちゃん劇場のコンセプトに強く共感していることが伺えた。「地方の劇場が、地元の歴史を掘り起こし、発信できるのは素晴らしいことです」。大学卒業後、１０年近く欧米の地方の舞台で活躍してきただけに、その言葉には説得力があった。先日、再び劇場に足を運んだ。四宮さんの出演は８月７日までだが、私の劇場通いは続きそうだ。&lt;br&gt;　</description>
      <pubDate>Tue, 28 Jun 2011 14:43:47</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>63　　　ガレキの中の運動靴とボール　　　</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=EHMKGW</link>
      <description>◆見渡す限りガレキの山が続いている。むき出しになった鉄骨、累々たるコンクリートや木材の山、スクラップ状態の自動車、丘に乗り上げた漁船も見える。岩手県大船渡市。大震災から２カ月経ったというのに、何ら変わらない光景が広がっている。毎日のようにテレビを通して送られてきた、凄まじい災害の跡が見慣れた情景になってしまっている。&lt;br&gt;　　&lt;br&gt;◆それを映すのなら、１３００㌔離れた地へ、ＫＣＴのカメラが入ることはなかった。　……　やがてカメラはガレキの中に近づいた。泥に埋もれた運動靴とボールを捉えた。ガレキという言葉ではまとめられない、そこには消されてしまった日常が見えた。運動靴をはいていた少年は無事だったのだろうか？　野球にかけた思いはどうなってしまったのか？&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆「一人の死は悲劇だが、百万人の死は単なる統計に過ぎない」。独裁者スターリンの非情な言葉として長く伝えられてきた。ユダヤ人虐殺の罪で絞首刑になった元ナチス親衛隊将校アイヒマンが、公判で同じようなことを述べている。だが、本来は「西部戦線異状なし」のレマルクの著書の中にある言葉のようだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆東日本大震災について、週刊誌でビートたけしが「２万人が死んだ一つの事件ではなく、１人が死んだ事件が２万件あったってこと。そう考えれば震災被害の本当の重みが分かると思う」と述べていた。今回の大震災について、被災者以外から、これほど響いてきた言葉があっただろうか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆大震災以後、日々無常に積み上げられてきた死者、行方不明者の数は、まさにデータとしてしか伝わってこなかった。「個」に拘る取材は、コミュニティー・チャンネルの本来の使命だろう。短い時間の取材でとてもそれが出来たとは思わないが、カメラの届く範囲で「個」の取材を続けていきたい。&lt;br&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</description>
      <pubDate>Tue, 7 Jun 2011 19:00:24</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>62　　　　現場取材こそ永遠の原点</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=EHMHKS</link>
      <description>◆作家の故・吉村昭さんには、一度だけお会いしたことがある。新聞社勤務時代、吉村さんが資料探しのため訪ねてくれ、たまたま私が応対しただけなのだが。吉村さんが探していたのは、岡山県成羽町生まれの木口小平に関するものだった。日清戦争で＜死んでもラッパを離しませんでした＞と讃えられ、明治の教科書にも登場した、あの木口小平だ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆新聞社の資料室で十分な資料が得られたかどうかは聞かなかったが、「このあと、生家のある成羽町へ行きます」と、慌しく次に向かわれた。「星への旅」で太宰治賞、「戦艦武蔵」や「陸奥爆沈」「関東大震災」などで菊池寛賞、「破獄」で読売文学賞など、既に作家としての名声は確固としたものがあった。静かな物腰からにじみ出る気迫のようなものが強く印象に残っている。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆丹念な現地取材から、資料整理、関係者へのインタビューなど、必ず自分の足と目で確かめて書いた緻密なノンフィクション、記録小説は吉村さんの真骨頂だった。徹底的に「記録することに拘る」その姿勢には、教わることも多かった。だが、1970年に出版された「海の壁―三陸沿岸大津波」は未読だった。今回、改題され、文庫化されていた「三陸海岸大津波」を初めて読んで、改めて記録文学が問う厳しさに打たれた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆明治２９年と昭和８年、そして昭和３５年と、大津波に三度襲われた三陸海岸を自ら取材して歩き、被災者から体験談を聞いている。先祖の代から凄まじい大津波を受けてきた人びとの言葉は余りにも重い。いや重いという言葉では表現できないほど、読む側がたじろいでしまう。三陸海岸では、何という悲劇が繰り返されてきたのだろう。そして、今また、なぜなのか？&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆ＫＣＴでは東日本大震災直後から、どう支援できるのかを中心にエリアへの影響、防災対策など、現地へ赴いたボランティアや自治体関係者をゲストに放送してきた。だが、もどかしさを感じ続けていたのも確かだった。それはＫＣＴのカメラが被災地に入っていなかったことによるものだったろう。地域が崩壊してしまった被災地にこそ、コミュニティチャンネルのカメラが必要なのではないのか。遅まきながら記者２人が、７日から岩手県、宮城県で取材に入る。</description>
      <pubDate>Tue, 31 May 2011 12:43:14</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>61 　　　玉野市と因島</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=EHMOKA</link>
      <description>◆私の生まれ育った因島は、玉野市と似通ったところがある。島と本土の違いはあるが、因島の周囲は約４２㌔、玉野の海岸線もほぼ同じ４２㌔だ。日立造船と三井造船。ともに造船の町として全国、いや世界にその名を轟かせたものだった。遠い昔の話である。いまや同列に並べることがはばかられる。二つの町は違ってしまった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆「因島市」の名前は、尾道市に編入された５年前に消滅した。島の造船業は続いているが、日立の名は消え、大型タンカーの進水が続いた昔日の面影はもうない。ピーク時には狭い島でも４万人を超えていた人口は、ほぼ半減してしまった。スーパーや映画館、レストランが入っていた５階建てのビルはなくなり、商店街の衰退ぶりは目を覆いたくなるほどだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆玉野市に因島の未来を見てしまうと言うつもりは毛頭ない。だが、ピーク時の昭和５１年に８万人を超えていた人口が、現在６万５千人にまで減っている。しかも３４年続けての減少である。さらに高齢化率は全国平均を大きく上回っており、限界集落化が近いと懸念される地区まであるほどだ。今回の玉野市議会議員選挙でも、人口減と少子高齢化対策は、大きな争点となった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆だが、争点とは、言ってみれば「違い」、「違っている」こと。多くの候補が、人口減、少子高齢化対策を挙げ、雇用創出、中心部の賑わいづくり、団塊世代の活用など訴えていた。だが、Ａ候補とＢ候補の違いは？　名前の売り込みが中心になる選挙カー活動では、具体的に伝わってくるものが、ほとんどなかったのではないだろうか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆ＫＣＴでは２４日に玉野市議選の開票速報を放送した。票の行方と当落を正確、かつ素早くお伝えするのが使命だが、番組では新市議とともに市民の声を交えながら、玉野市の将来像をどう描いていくのか、を考えていく構成にした。人口減少は全国の課題でもある。これからの地方は人口減を逆手に取るようなアイデアで勝負して欲しい。合併してその名を消した「因島市」。単独市政を選択した玉野市。新市議には目先の４年にとどまらず、１０年、２０年先を見据えた玉野市づくりを期待したい。</description>
      <pubDate>Fri, 6 May 2011 11:41:13</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>60　　　県政、県議会と市民の距離</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=EHMHRO</link>
      <description>◆統一地方選の前半戦が終わった。ＫＣＴでは１０日午後８時から岡山県議会議員選挙の開票速報を放送した。投票所の開票作業スタートから、「当確」「当選」を打ち、随時、喜びの声を入れながらのおよそ４時間半の生番組となった。いつもながら選挙報道は、緊張と集中力を強いられるものである。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆番組はスムーズに進行させることができたが、振り返ってみてどこか釈然としないものが残っている。手ごたえと言っていいものかも知れない。それは初当選を果たした新人議員の声に表れていた。「選挙戦を通して、県民と県政、県議会の距離がこれほど離れていたとは」。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆コミュニティー・チャンネルのＫＣＴでは、定例県議会の生中継はしているが、県政の課題を取り上げることは少ない。最近のエリアの県政がらみのニュースと言えば、チボリ公園、ＪＲ倉敷駅周辺の連続立体交差事業、県立支援学校の誘致、水島港の人工島への企業進出など、決して多くはない。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆もちろん、国、県の中にあっての基礎自治体だから、エリアのニュースは、国と県すべてに広く関係している。記者は常にその視点が求められているとも言えるのだが。とは言うものの、県政と県議会をどこまで市民の側に引き付けて選挙報道が出来たのか。反省を繰り返しながらも、選挙戦そのものにも疑問が残った。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆県外から転勤して来た人の声がそうだ。「誰が出て、何をしたいのか。ポスター掲示板だけで選べと言うのですか」。なるほど彼が前にいた県では、県議選でも選挙公報が発行されていたそうだ。岡山県選管に聞いてみると、「県議選で選挙公報を発行するには、県条例の制定が必要」とのこと。岡山県のように条例がなく、選挙公報を発行していないのは少数（３６都道府県が発行）なのだそうだ。さあ、４年後は！。&lt;br&gt;&lt;br&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</description>
      <pubDate>Sun, 17 Apr 2011 17:32:47</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>59　　　何が本当に怖いのか分からない</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=EHMOSK</link>
      <description>◆「１０００年に一度」という呼び方さえ聞こえてくる。東日本大震災から２０日たった。本来なら、新聞やテレビの報道は、被災者の支援や復興へ向けた動きに重点が移っているはずなのに、連日、大きく割かれているのが福島第１原発の事故である。目に見えない恐怖が、日本中を覆っているようで、何とも重苦しい日々だ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆当初、安定に向かうような報道もあったが、その後は日に日に悪化の一途をたどっているようだ。新聞の見出しを追うだけでも「東京の水道水に放射性ヨウ素」「作業員３人被ばく」「土壌にプルトニウム」と、恐怖に追い討ちがかかる。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆千葉県浦安市に住む知人からは「単一電池と水がない。倉敷で手に入れば送って欲しい」とのＳＯＳの電話。特に７カ月の乳児を持つ娘さんの家では、断水が続いたうえに放射能が加わって、「水不足」は深刻な状態に追い込まれているという。早速、市内のスーパーに走ったが、何と水のペットボトルの棚だけは空っぽではないか。コンビニなどで小さいボトルを買い集めて送ることはできたが、これからどうなることか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆福島市で青果店を営む友人は、地震直後のメールで「初めて被災者になりました。でも私の家の壊れは、津波で何もかも無くした方々に比べると、蚊に刺された程度です」と書いてきた。その彼が福島県産の野菜に「摂取制限」が発動されてからは、「しばらくは辛抱できます。でも、何の補償もない店を営む者には、これから先の不安が大きくなるばかりです」と、やり場のない怒りを書いてくるようになった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆原発史上、最悪のチェルノブイリに次ぐ大事故に位置づけられるようになってきた。水素爆発で無残な姿をさらす原子炉建屋の中で、人間が作り出した巨大で不気味な龍が、今ものたうっているのか！　避難所のお年寄りの女性が、テレビのインタビューに答えていた。「臭いもない。形も見えない。何が本当に怖いのかも分からない。それが怖いのです」。</description>
      <pubDate>Tue, 5 Apr 2011 16:08:05</pubDate>
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      <title>58　　　町が消えた　　　</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=EHMTKY</link>
      <description>◆何ということが起こってしまったのだろう。３月１１日午後２時４６分―。ＫＣＴの副調整室では、５時からの生本番へ向けて慌しさが漂い始めるころだった。一人のスタッフが「今、揺れたんじゃないか」。倉敷で震度１。「敏感だな」程度で済むはずだった。ところが、壁に取り付けられたテレビ・モニターからは、衝撃的な出来事を伝える緊迫感が徐々に高まり始めてきた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆速報で、仙台や盛岡のテレビ局の備え付けのカメラが、スタジオの揺れを映すのは、いわば定番だ。見慣れている。それでも「いつもよりは揺れが激しい」くらいでしかなかった。揺れに続く、再三の「津波に注意！」には、正直ピンとこない。ところが、港や空港からのライブカメラは、かつて見たこともない津波の姿を映し始めるのだった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆ＫＣＴエリアの玉野にも津波注意報が出た。午後８時に最大潮位は５０ｃｍという予報である。午後５時からの生放送のＫＣＴワイドで注意を呼びかけ、７時から９時までは再放送を中止して、玉野市の藤井海岸のお天気カメラに切り替えて海の状況をお伝えした。それが、コミュニティーチャンネルが出来る限度だったろうか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆後に「あの海岸の生中継で安心感が出た」との声もいただいた。放送部内では今後の災害報道で、地域がコミチャンの情報で何を必要とし、我々がそれにどう対応し、何を伝えるべきなのか、議論を続けている。そして今回の大災害では、いかに現地に支援の手を差し伸べることが出来るのかが問われよう。ＫＣＴワイド内に「復興支援掲示板」を当分の間設けて訴え続けていきたいと考えている。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆それにしても、１６年前の阪神淡路大震災の時、「この時代にもう２度とこんなことは起こるまい」と思うほどの大災害だったのだが。神戸の街では、ビルや高速道の倒壊に恐怖を覚えたものだが、涙があふれてきたのは、郊外の住宅地を歩いていて、崩れた民家の跡に女の子のものと思われる「ままごと道具」が散乱しているのを見つけた時だった。今回の震災では、テレビを通して映し出される海岸沿いの町からは、そんな生活の痕跡さえ伺えない。町が丸ごと消えてしまっている…。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</description>
      <pubDate>Wed, 23 Mar 2011 11:12:16</pubDate>
    </item>
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      <title>57　　　考えたい、暮らしづくり</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=KGWHKD</link>
      <description>◆１２日の夕方、３時間にわたって特別番組「倉敷駅周辺の今後を考える」をお送りした。生放送による座談会は、ＫＣＴでは初めての試みだった。倉敷駅北のチボリ公園跡地に今秋オープンする大型商業施設をきっかけとして、大きく変貌するであろう倉敷駅周辺と今後の街づくりの在り方について討論してもらった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆出席いただいたのは、民間から街づくりのキーマン２人と岡山大大学院教授、それに市議会から街づくり関連委員会の委員長など３議員の合わせて６人だ。議論は大型店進出で予想される影響から始まった。交通渋滞をはじめ、既存商店街の衰退など、さまざまな懸念が指摘された。行政や事業者が解決しなければならない課題が浮き彫りになったようだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆だが、年間８００万人とも予想される新大型商業施設からの人の流れを、どう駅の南にも呼び込めるか。議論は前向きな方向へと収斂していった。南北を分断しているのは、言うまでもなく鉄道なのだが、鉄道高架化の連続立体交差事業は進む気配さえない。仮に実現へ動き出したとしても、完成は何年先になることか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆だったらどうするのか。６人には倉敷のまちづくりでキーワードを上げてもらった。「シナジー効果」から「にぎわいの響き合い」、「歴史と風格を感じさせる　暮らしやすいまち」、「まちづくりは人づくり」など。それを実現させるための具体策も示してもらった。もちろん、３時間の議論で結論が出るわけではない。今後とも多様な意見をぶつけ合い、相手の声に十分想像力を働かせながら、道筋を見つけていきたい。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆「まちづくり」は、倉敷ケーブルテレビが、放送基本理念の冒頭に掲げているテーゼだ。８項目からなる放送基本方針でも、第１項で「地域で取り組む『まちづくり』を支援する」と明記している。ハード面の「つくる」は考えにくい時代だ。人が住みたくなる、行ってみたくなるまちづくり。その土地に住む人びとの暮らしを、どうつくっていくか。考え続けていきたい。</description>
      <pubDate>Mon, 21 Mar 2011 18:39:51</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>56　　　「海のネズミ」はうまい!？　　　</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=KGWYMG</link>
      <description>◆ＫＣＴワイドのニュース特集で「今が旬！　ナマコ」を放送した。宇野港で水揚げされ、セリにかけられるナマコたち。渋川マリン水族館長から生態について聞き、料理店へ出向いては調理のコツを教えてもらった。ナマコ大好物人間には、今夜は「これだ！」と思いながら楽しめる特集になったようだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆ところが、ナマコと言うと嫌悪感を露骨に表情に出す若いスタッフも何人かいた。「絶対ダメ」と言う人が案外多い。実際、包丁が入る前の姿、形は奇怪である。どちらが頭なのかもよくわからない。背中にはたくさんのいぼがある。「そんなグロテスクなもの、よく食べるよ」「最初に食べた人の勇気を讃えたい」との声が返ってくる。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆夏目漱石が「吾輩は猫である」の中で、「…始めて海鼠を食ひ出せる人は其胆力に於て敬すべく」と書いているほどだ。とはいえ海鼠の記述は「古事記」に出てくるというから、人間との付き合いは相当古いようだ。食べるだけでなく、白壁の街・倉敷の土蔵に欠かせない海鼠壁に見られるように建築工法にも登場する。目地の漆喰をかまぼこ型に盛り付けて塗ることに、わざわざ海鼠の名前を持ち出したのも面白い。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆ナマコは夜行性の行動パターンが、ネズミに似ているのと、姿や色合いから「海鼠」と書くようになったという。所変わって、英語では「sea　cucumber（海のキュウリ）」と言う。かつてオーストラリアの海で見たナマコは、日本のものよりかなり大きくまずそうだったが…。でも、海のキュウリと言われると、食べるときの抵抗感は少しは違っていただろう。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆食べ始め説として説得力があったのは、高橋和巳の長編小説「邪宗門」の中の一節である。東北を襲った大飢饉に絡んで、うめくような会話の中にそれは出てくる。「海胆（うに）にしても海鼠にしても、最初は飢えた漁民がやけのやんぱちで食ってみたんだろう」。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</description>
      <pubDate>Tue, 25 Jan 2011 18:06:30</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>55　　　「地域主権元年」そして２年、３年へ</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=KGWKCH</link>
      <description>◆日本の現在の中央集権体制は、明治４年の廃藩置県によって出来た。司馬遼太郎さんは「この国のかたち」で江戸の３００近い藩の個性や多様性が「明治の統一期の内部的な豊富さと活力を生んだ」と書いている。そして現代、作詞家の阿久悠さんは「全国どこへ行っても新幹線の駅前は同じ顔になってしまった。もう『遠くへ行きたい』のような詩は生まれない」と語ったことがあった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆１９７０年代初めの地方の時代に始まって、地方分権、地方主権、地域主権など、地域主義を主張するスローガンや政策は、いくつか生まれてきた。だが、「○○元年はあっても、○○２年、○○３年はない」と揶揄され続けられてきたのが、この地方分権、地域主権ではなかったか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆「地方の時代」とおだてられるだけで、年々過疎化と高齢化が進み、不況の波をもろにかぶり疲弊していく地方。地方に住む多くの人が、そんな実感を持つのではないだろうか。地方分権にせよ、地域主権にせよ、権利や財源の拡大のメリットが地域住民に実感できるような施策がなければ、「元年」だけで尻すぼみに終わってしまうということなのだろう。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆「今年は『地域主権改革の元年』になりうる」（山陽新聞１月１日付）。片山善博・総務相が、そう語っている。地方自治体の自由度の増す一括交付金の創設という改革を主導した自負からだろう。中央省庁が何から何まで口出しする、と煙たがられる国のひも付き補助金の一部を１１年度から改めようという制度だ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆自由度や規模にまだまだ問題点は多いが、裁量の範囲が増す使い道をめぐっては、当然ながら自治体レベルの政策論議が求められる。地方に生きる人が、自ら考え、自らの責任で地域を創っていく。まさに「元年」になる、制度改革なのだと理解したい。冒頭の司馬さんは、社会が均一性の方に走り続けるなら「日本はやがて衰弱する」と警告していた。</description>
      <pubDate>Tue, 11 Jan 2011 09:36:33</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>54　　　高校生達の「父と暮せば」</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=KGWEHM</link>
      <description>◆評論家・佐藤忠男さんが中学・高校生向けに書いた「戦争はなぜおこるか」（ポプラ社、１９７６年）に、忘れられない一節がある。「戦争でいちばんひどいめにあった人たちというのは、…ひどい苦しみの末に死んでしまっていて、その苦しみを君たちに話してくれるすべもないのだということを考えよう」&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆ことし４月亡くなった井上ひさしの戯曲「父と暮せば」には、ヒロシマの原爆で死んだ父親・福吉竹造が、《死者の声》を届けるために登場する。実は《その声》は娘の美津江のもう一つの想いとも重なっている。ラスト、美津江の心の中の二つの思いが、一つに昇華されていく構成の見事さは、戯曲を読んでも、舞台を見ても感動するところだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆この井上ひさしの代表作の一つである戯曲に、高校生達が取り組んでいる！　ＫＣＴでは、岡山県代表として中国大会に出場した総社高校演劇部にスタジオまで来てもらい、舞台を再現してもらった。本来なら居間と茶の間、それに台所の舞台装置だが、スタジオは狭く、なんとか８畳の間を６畳にして演じてもらった。慣れた舞台と違って、やりにくかったことだろう。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆さて肝心の芝居だが、正直期待していなかった。それよりも「あの名戯曲を学芸会的にやられたらどうしよう」といった不遜な思いまで抱いていた。だが、眼前での高校生たちの芝居は、完全に予想を裏切ってくれた。何より、演じる二人が自然なのだ。無理して演じているという感じがなかったのだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆今年７月に観た本家「こまつ座」の舞台は「さすが」だったのだが、高校生達の舞台にはより心に染みてくるものがあった。狭いスタジオで、舞台の空気を共有しながら観たせいか…。放送は２０１１年がスタートする１月１日午前０時から。再放送は１月３日午後７時からを予定している。</description>
      <pubDate>Tue, 28 Dec 2010 09:33:41</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>53　　　１４年目の初訪問</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=KGWKGW</link>
      <description>◆友人のライブコンサートのため大阪へ。足を伸ばして東大阪市の「司馬遼太郎記念館」を訪ねてきた。一度は行きたいと思いつつ、開館から１４年目にしての初訪問となった。近鉄の駅から歩いて十数分、閑静な住宅街の一角は、そこだけがひっきりなしの入館者で賑わっていた。ＮＨＫの大河ドラマ「龍馬伝」人気の影響だろうか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆世間でイメージされるいまの龍馬像をつくり、龍馬再評価の引き金になったのは司馬遼太郎「竜馬がゆく」に負うところが大きい。福山雅治・龍馬に「ちょっと違う」の声があったのも、司馬・龍馬と比較してだったようだ。私は映画「龍馬暗殺」の原田芳雄や舞台「龍馬！」の上野哲也（現・五葉隼人）が好きなのだが、福山・龍馬もなかなか良かった。龍馬はいろいろ語られ、ますます面白くなっていく。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆記念館でいま人気なのが、ズバリ龍馬の影だ。展示室のコンクリート打ちっ放しの天井に浮き出たシミが、龍馬の肖像に見えるのだ。龍馬降臨を思わせるシミ目当ての入館者もいるのだろう。ここに来て「いや、そうは見えない」というのは野暮というものだろう。じっと天井を見上げて、首が痛くなるのも一興である。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆私自身、特に司馬遼太郎が好きということもなかったが、３０代のころは熱中して読んだものだった。展示室はその数々の歴史小説を生み出した蔵書や資料約２万冊が、高さ１１ｍの壁面いっぱいの書架に納められていて圧倒される。上の方の書物は、遠くてとても背表紙の文字までは読めない。双眼鏡を持って一冊ずつ確認していきたい衝動に駆られた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆司馬遼太郎といえば、ＮＨＫのスペシャルドラマ「坂の上の雲」第２部が始まる。生前、司馬さんは「坂の上の雲」の映像化には反対だった、と伝わっている。晩年に使っていた時のまま残されている、記念館横にある自宅の書斎を見ながら、その意味するところを考えてみる…。</description>
      <pubDate>Fri, 3 Dec 2010 12:52:46</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>52　　　これぞメロドラマ　　　　</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=KGWHKS</link>
      <description>◆今年が生誕１００年の３人の映画監督の特集が、ＫＣＴのチャンネルで続いている。世界のクロサワ（黒澤明）、社会派の巨匠・山本薩夫、メロドラマの大庭秀雄、１９１０年生まれの３人の監督だ。すぐに“冠イメージ”で呼べるのは、いずれも一時代を築いた監督たちだからであろう。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆日本映画専門チャンネルは、黒澤全３０作のうち旧ソ連製作「デルス・ウザーラ」を除く２９本を来年３月まで連続放送している。黒澤作品はすべて２回以上は見ているし、ＤＶＤも持っている。だが、テレビで＂いま＂の時間見ていると、特別の緊迫感も生まれる。黒澤作品の密度の濃い、重厚感漂う画面は、何度見ても色褪せることなく迫ってくる。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆山本薩夫監督作品はこの夏、ＮＨＫのＢＳ２で面白さを再確認させてもらった。「真空地帯」から始まり「忍びの者」「白い巨塔」「華麗なる一族」「金環触」など。社会問題を怒りをもって、娯楽色たっぷりに描く。スケールも大きい。今回の特集にはなかったが、「にっぽん泥棒物語」や「戦争と人間・三部作」といった作品も見直したくなる。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆実は今回一番熱が入ったのが、大庭秀雄作品だった。若いころは、メロドラマと聞いただけで拒否してきたというのにである。あの「君の名は」三部作でさえ見たことはなかった。今回、衛星劇場で初めて見たが、すれ違いメロドラマの代表作といわれるだけあって「なるほど時代の先頭を走った映画とは、これか」と、妙に感心してしまった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆過剰な感傷が鼻に付くこともあったが、品のいい抒情性には時に酔った。なんといっても佐田啓二と岸恵子の美男美女ぶりにはまいった。どんな場面になっても二人は、美しく、清く、正しいのだ。これぞメロドラマ。これからは、ほかの大庭作品にもチャンネルを合わせてみよう。</description>
      <pubDate>Fri, 26 Nov 2010 16:17:28</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>51　　　新聞、新聞シ、新聞ガミ、そしてスクラップ</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=KGWOKA</link>
      <description>◆２３日放送のＫＣＴワイドのコーナー「Ｗe　Ｌoｖe　Ｈoｂｂｙ　―　新聞を楽しむ主婦」は、興味深い話題だった。新聞出身者としては、ありがたい気持ちにもなった。このネット情報が氾濫する時代に、新聞のスクラップを丹念に続けている主婦がいる。「○○のためにする」とか言うのではなく、「新聞は面白いんです」「楽しいんです」とのコメントも嬉しかった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆大事にスクラップするばかりではなく、広告面を使ったエコバッグやブックカバーなど生活雑貨としても活用している。濡らした新聞紙で窓拭きをするのもいいそうだ。洗剤を使わなくてもきれいに磨けるというから、家でもやってみたい気分になる。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆テレビを見ながら、作家の故向田邦子さんの随筆「新聞紙」を思い出していた。向田さんはその中で、新聞を三つに分けている。一つ目はもちろん、読むための新聞。それが日付が変わると新聞紙（シ）に。さらに日にちが経つと、新聞紙（ガミ）になる。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆この新聞ガミが大層役に立った。弁当箱を包む。洋裁の型紙にする。焼き芋や油揚げを包んでもらう。習字では半紙に書く前の練習用に欠かせない。畳の下に敷いて何年か後、大掃除の時に密かに読む楽しみ。風呂の焚き付けやトイレにも使った。…向田さんが生きていたら、今年で８１歳。それでも５０歳以上の世代は「そうだった。やっていた」とうなずくのではないだろうか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆私自身、さすがに新聞ガミの活用はしなくなった。ただ長年の癖か、スクラップは今も続けている。キーを叩くだけで一瞬で消えたり、呼び出すまで顔の見えない電子情報に比べ、圧倒的に安心感がある。スクラップされた新聞シの大小や形の違いには、価値判断した編集者達の思いが見える。信頼感がある。便利になればなるほど、意地でもスクラップは続けたい。</description>
      <pubDate>Wed, 24 Nov 2010 14:48:10</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>50　　　日向臭い感受性</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=KGWHRO</link>
      <description>◆「文化の秋」である。１０月３０日開幕の第２５回国民文化祭・おかやま２０１０や１１月５日の大原美術館の創立８０年記念にあわせて、ＫＣＴでも３０日から９日間、特別編成期間に入った。その初日、３０日にはいきなり長時間の生中継番組を２本お送りした。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆午後１時からの大原美術館「新世紀の美術館を目指して」、そして午後４時半からは「国文祭＝開会式・オープニングフェスティバル」である。国文祭のイベントではないが、大原美術館からの衛星生中継は、あらためて岡山が誇る文化芸術の凄みを全国に発信できたのではなかろうか。私自身、中学生の時に初めて美術館に入った時の感動が蘇ってくるようだった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆大原美術館の「静」に対して、国文祭・オープニングフェスは「動」だ。文化ステージ「愛の雫」は、民俗行事から伝統芸能、それにバレエ、モダンダンスを織り交ぜて岡山の歴史と自然を綴っていく。官製のステージは往々にして各地域や団体に気を使うあまり総花的で、印象は散漫なものになりがちなのだが、メリハリが利いた舞台は２時間あまりでも飽きさせなかった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆今回の国文祭のキャッチフレーズは「晴れの国おかやま　文化回廊」という。「晴れの国」は岡山の代名詞として定着したようだ。今回の国文祭を通して岡山文化の特性が浮き彫りになるだろうが、晴れの国という言葉が登場するずっと前に文芸評論家の河上徹太郎が、内田百閒（岡山市）や正宗白鳥（備前市）、井伏鱒二（福山市）ら中国筋の文学者に共通する性格として面白い指摘をしている。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆一つは「日向（ひなた）臭い感受性」、そして「一見意地悪そうなユーモア」と「案外貪婪（どんらん）な探究心」の三つ。文学に限らず「うーん」と思い当たることも多い。晴れの国の、日向臭い感受性が、どんな文化イベントを展開していくか。そんな気分にも誘われて会場をめぐってみたい。</description>
      <pubDate>Mon, 8 Nov 2010 14:33:34</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>49　　　ＫＣＴの「イタリア・デー」</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=KGWOSK</link>
      <description>◆１０月１５日、ＫＣＴは「イタリア・デー」になった。午後５時からのＫＣＴワイドに、国立ミラノ・ヴェルディ音楽院のダニエーレ・アジマン教授が出演。午後６時半からＫＣＴのカメラクルーは、来倉中のソフィア・ローレンさんの大原美術館での歓迎セレモニー取材に当たった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆アジマン教授は、くらしき作陽大学と共同制作したオペラ「椿姫」の芸術監督を務めている。２３，２４日の公演ＰＲのために出演いただいたのだが、生放送の４時間前に関西空港に着いたばかりだ。リハーサルではさすがに疲れた様子だったが、本番ではオペラ無知のこちらの質問にも、明快に、かつ大いに乗って答えていただいた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆さて、ソフィア・ローレンさん。いわずと知れた２０世紀を代表する女優だが、何と放送部内で知っているのは私を含め５０歳以上の二人だけだった。他の４０歳以下のスタッフ十数人は揃って「知りません」「誰ですか？　その人」。久しぶりに世代間ギャップを感じることになった。オードリー・ヘプバーンは全員が知っていた。この違いは日本人の好みの問題だろうか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆私自身、５０年代後半から７０年代にかけて、ソフィア・ローレンが最も輝いていたころの映画は、ほとんどリアルタイムで見てきた。だが、当時は評判だったマルチェロ・マストロヤンニとの喜劇を面白がるには若すぎたようだ。すぐに思い浮かぶのは、大好きな「エル・シド」とサルトルを読む一つのきっかけになった「アルトナ」ぐらいか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆ＫＣＴニュースで流した大原美術館のソフィア・ローレンさんは、さすがの貫禄だった。だが、同時に「いま、なぜ倉敷にいるのか？」。どことなく落ち着かない空気も漂ってきた。その圧倒的な存在感ゆえのバックとの違和感は、ソフィア・ローレン映画で何度か感じたものと共通するものではなかったろうか。</description>
      <pubDate>Mon, 25 Oct 2010 15:34:16</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>48　　　漫画が「悪」だった時代</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=KGWTKY</link>
      <description>◆８月から９月にかけて、倉敷に里帰り中の漫画家とアニメーターにＫＣＴワイドに出演いただいた。一人は山陽新聞の「蛙の漫画」やオートバイ、カメラ、釣りなどの教本漫画で活躍する中山蛙さん。もう一人が「ハウルの動く城」や「借りぐらしのアリエッティ」など、スタジオジブリ作品で作画監督を務めた山下明彦さんだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆蛙さんは６１歳、山下さんは４４歳。育った時代は違うが、ともに倉敷の自然の中で遊び、絵をかき続けるという少年時代を過ごした二人である。子どものころ見つけた好きなことを、やり続けるという独特の明るさが二人から伝わってきた。もちろん「それで飯を食べる」には相当な苦労もあったのだろうが、苦労を苦労と感じさせない強さがあるように思えた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆以前、蛙さんとも話したことがあったが、ほんの半世紀前、漫画は「悪」とされていた時代があった。私たちが小学校のころの世間は、そう決め付けていた。家はもちろん、学校でも「漫画を読んではいけない」「漫画を読めば不良になる」。漫画は有害ということで、校内には「悪書追放」と書いた回収箱が置いてあった。唯一許されていたのが、学習漫画や偉人の伝記漫画、道徳漫画ぐらいだったろうか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆詳しくは大人になって知ったことだが、実際に昭和３０年から数年、漫画を悪書として追放運動が行われていた。先頭に立ったのは、ＰＴＡや日本子どもを守る会、母の会連合会など。何と、焚書までやったという団体もあった。地域によっては、校庭の真ん中に漫画を積み上げて燃やしてしまったのだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆学校に説明に出向いた手塚治虫の目の前で、「鉄腕アトム」を燃やしたという＂事件＂もあったという。それが感受性豊かな天才漫画家の心をどれだけ傷つけてしまったのか。想像することも出来ない。いまや漫画、アニメは、日本が世界に誇る文化の一つになった。何度読んでも凄過ぎる手塚治虫「火の鳥」。先駆者の長かった戦い、短く終わった命を思う。</description>
      <pubDate>Tue, 5 Oct 2010 09:03:47</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>47　　　ズンチャチャは面白い　　　　</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=HKSHKD</link>
      <description>◆先日のＫＣＴワイドに、以前から一度会いたかったゲストをお招きした。総社市清音の中学校体育教師、江口久美子さんである。倉敷、岡山のダンスグループ「ズンチャチャ」の“お笑い”担当だ。第７回公演を前に、スタジオでインタビューさせてもらった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆３年前の岡山市芸術祭でのズンチャチャ公演「だいく」「しらとり」には唸った。実に面白い。演出、構成が只者の仕業ではないと思えたのだった。「これが素人集団？」。間の取り方が秀逸で、舞台が呼吸しているようだった。日常生活の中からポロッとこぼれ出す冗談と、体を動かすことが自然にダンスに繋がって舞台いっぱいに踊りの輪が広がっていく。コンテンポラリー・ダンスの楽しさを、存分に味わわせてくれた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆さて、９月１８日と１９日、３年ぶりに開かれた第７回ズンチャチャ公演。「カレーなるふぁみりー」と「ストラヴィンスキー・春の祭典」の二つの演目が上演された。前半でズンチャチャらしい、日常の中から滲み出すダンスとお笑いを見せた後は、一転、ストラヴィンスキーとの真っ向勝負である。ひと笑いした後のストラヴィンスキーは、すごいの一言だった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆「春の祭典」と言えば、テレビで見たモーリス・ベジャール振付作品、ディズニー映画「ファンタジア」が浮かぶ。それらとは全く違って、須原由光さん構成・演出・振付による３６分の舞台は、独創性豊かで圧倒された。ダンス無縁の者からすれば、よく言葉での解釈を試みようとするものなのだが、そんなことは一切無用だった。言葉にも何にも制約されることなく、９人のダンサー達が自由に身体表現の面白さを追求しているかのようだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆前の公演「しらとり」の中で「カヴァティーナ」をソロで舞い、劇場の空気を一身に集めた須原さんが今回も軸になっている。須原さんをはじめ全員が幼児期からのバレエ経験者かと思っていたが、後で聞いた話、半数近くが成人してからダンスを始めたそうだ。「人それぞれの個性、特性を見つけて、舞台でその力を発揮してほしいんです」。そう話す須原さんの笑顔からは、「それがズンチャチャです」という確信のようなものが伝わってきた。</description>
      <pubDate>Tue, 28 Sep 2010 13:40:59</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>46　　　酷暑の時こそ考えたい街づくり</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=HKSYMG</link>
      <description>◆猛暑というか、炎暑、酷暑の日が続いている。新聞の見出しも「こう続くと、これ以上使う言葉がない」とでも言うかのように、連日同じ言葉が踊っているようだ。辞書を引くと、極暑、厳暑、盛暑、暑威などもあるようだが、さすがに一般的ではない。何年か先には、極暑あたりが使われるようになるのかもしれない。温暖化と並行して報道されると、そう思わせられる今年の暑さだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆先日の「熱中症で病院に搬送された人４万人超」に続いて、２６日には「岡山市で猛暑日連続１２日で、２０年ぶりに最長記録を更新」というニュースもあった。ということは、２０年前の１９９０年も、今夏並みの暑さだったのだろか。記憶は全くないが、個人的な実感としては、年々数字以上に暑さに対して怒りっぽくなっているような気がしている。ちょうどその１９９０年前後だったか、砂漠気候のエジプト・カイロに住んで３年になる知人から、夏について意外な手紙が来たことがあった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆「日本の四季は確かに懐かしい。でも、一番思い出すのは子どものころの夏。昔の日本人の夏との付き合い方は味わい深かった」。１年の半分近くが夏の国から、日本の春や秋ではなくて、懐かしく夏が語られてきたのだ。すだれ、団扇、麦藁帽子、浴衣、かき氷、涼み台、ラムネ、縁側の風鈴、打ち水、スイカを食べてゴロッと昼寝…。かつての日本人は受け身のままで、活動のテンポを緩めて、夏の暑さをやり過ごそうとしてきたのだろう。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆現代はビルも住宅も車も、エアコンで暑さを制する時代だ。人が制御する室内と、ありのままの外との温度差は広がるばかりだ。油照りの交差点での信号待ち、つい信号機の細い陰を求めている。近くに街路樹さえあれば、と思うことは再々だ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆街路樹は都市の美観、大気の浄化にも欠かせない。街づくりは、クーラーの効いた室内ではなく、照り返しのきついアスファルト通りを歩きながら考えるべきではないか。そう思ってしまう今年の夏だ。</description>
      <pubDate>Fri, 27 Aug 2010 15:48:52</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>45　　　孫世代が聞く「原爆」</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=HKSKCH</link>
      <description>◆広島、長崎に原爆が投下されてから６５年目の夏である。ＫＣＴワイドでは、８月２日から「広島原爆の日」の６日まで、倉敷市と玉野市の被爆者５人に話を聞くシリーズを放送した。被爆者の高齢化が進む中、「語り継ぐ」「受け継ぐ」をテーマに、孫世代の入社２年目の記者二人がインタビューに当たった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆入社２年目と言うと、昭和の最後の世代だ。「８月６日が何の日か」答えが出ない若者が増えている、との調査もあったようだが、彼らはそんなことはなかった。広島原爆資料館へは、一人は学校からの平和教育で、もう一人は学生時代に自主的に訪ねていた。だが、実際に５人の被爆者にインタビューして、想像を遥かに超える、凄まじい６５年前の事実には時に言葉も出なかったようだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆「『おかあちゃーん』と胸をかきむしりながら死んでいった同級生の姿と声は一生忘れることは出来ない」「私たちには青春と呼べる時はなかった」「被爆二世の息子が先にガンで死んでしまった」「６５年の間、原爆症の恐怖から解放されない日はなかった」「特攻訓練を受けていて死は恐怖でもなく、生きることへの執着もなくなっていったようだ」…&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆戦後何年か、被爆者であることを隠して生きてきた方も何人かいた。広島から離れ、倉敷や玉野で暮らしてきた中には、より深い孤立感が漂ったこともあったようだ。出来れば忘れたい、思い出したくもないことを、カメラの前で、孫世代の記者に向かって、搾り出すように話していただいた。そこには同時に「今、語っておかなければ」との強い意志も加わっているようだった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆取材後、一人の方が「原爆の日にあわせて特集を組むというんじゃあなくて、マスコミには『どう語り伝えていくか』を常に考えていてほしいですな」と言われた。その通りなのだろう。メディアは原爆さえも季節の行事にしていないか。インタビューを終えた孫世代の二人の記者も、重く受け止めたことだろう。</description>
      <pubDate>Mon, 9 Aug 2010 16:43:56</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>44　　　声に出して物語を伝える夏</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=HKSEHM</link>
      <description>◆７月のＫＣＴワイドの中で、「物語を声に出して伝える」ニュースや特集が目に付いた。１１日行われた参院選の選挙演説を言っているのではない。昔話や民話の語りの会をはじめ、原爆の詩や手記の朗読劇、学校図書館司書による読み聞かせの会などである。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆本を声に出して読むというと、岡山市生まれの児童文学作家、坪田譲治の思い出の記が浮かんでくる。坪田譲治が子どものころの大きな楽しみは、本を読むことだった。中でも一番ひきつけられた物語はダニエル・デフォー「ロビンソン漂流記」だったそうだ。明治３０年前後のころ、同級生と一緒に早く読みたいために、一冊しかない本を代わる代わる声を出して活字を追った。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆読まない方は寝転んで聞いている。農繁期で外の忙しさに後ろめたいものを感じながらも、物語の面白さに引き込まれていく。半日で読み終えたその時の情景は、生涯忘れることはなかった、と書いている。友達同士で声に出して読み合い、聞き合う。今では想像も出来ない情景かもしれない。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆だが、明治期、本の絶対量も少なく、テレビはもちろん、ラジオさえなかった時代にあっては、「音読」の習慣はまだ一般的だったとの説がある。文芸評論家、前田愛著「近代読者の成立」などは、黙読による読書習慣が一般化したのはごく近年のことと指摘している。古来、人々は本を声に出して読んでいたのであり、一般的に「黙読」が出来るようになったのは活版印刷の発明以降とされてきた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆実際、自分を振り返ってみても、読書の始まりは、母親が読んでくれた絵本だった。小学校一年生の国語の時間も、クラス一緒の音読からだったようだ。母親と自分、先生と自分、級友達と自分、音読は必然的に人間の関係を浮かび上がらせてくれる。ＫＣＴワイドで続いた「音声によって物語を伝える」話題は、音声がつなげる人間関係まで考えさせてくれた。</description>
      <pubDate>Wed, 4 Aug 2010 11:01:16</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>43　　　６年間は長い</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=HKSKGW</link>
      <description>◆参議院議員の任期は６年である。衆参同日選挙などで政治家不在状態をつくらないためなどの理由から、３年ごとに半数ずつ改選されることになっている。では？　と、素朴な疑問が浮かんできたことがあった。第１回、つまり最初の参院選では「議員定数の半数しか選ばなかったのか？」。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆正解は１９４７（昭和２２）年の第１回参院選では「６年議員と３年議員を同時に選んだ」である。得票順に上位は６年任期が約束され、半数から下の当選者は３年任期となったのだった。「なるほど」と感心しながらも、当落とともに、任期の長短を競った過酷な選挙だったことが想像できる。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆１１日行われた参院選は、民主党が大敗し、非改選を含めた与党系は参院過半数を１２議席割り込んだ。衆参の多数派が異なる「ねじれ国会」である。しかも、衆院は与党で３分の２ないので「本ねじれ」との言い方もされているようだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆１９４６年の参議院議員選挙法案の提案理由には「参議院の独立性確保の方針を堅持し（中略）衆議院とは出来るだけ異質なものたらしめる」とあった。だが、参議院は、参院カーボンコピー説や参院無用論から一院制論まで、常にさらされてきた歴史がある。皮肉にも「本ねじれ」は、参院の存在をいやがうえにも大きくさせ、政権運営にも力を及ぼすことになるだろう。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆衆院議員の任期は４年だが、解散があるので平均すると３年弱という。参院議員は衆院の解散のように、総理大臣から職を解かれることもない。一度当選したら、６年間は保証されている。６年は長い。中長期の政策にじっくりと腰を据えて取り組むことが出来る。衆院とは違った仕事が出来るはずだ。いや、やってもらわなくては困る。それがなければ、参院の存在意義は問われ続けよう。</description>
      <pubDate>Wed, 28 Jul 2010 10:15:38</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>42 　　　 「ゲルニカ」から「明日の神話」へ</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=HKSHKS</link>
      <description>◆先日、所用で上京した際、渋谷へ寄り道をして、岡本太郎「明日の神話」を見てきた。ＪＲ駅から井の頭線改札を結ぶ２階の連絡通路にそれはあった。原爆炸裂の瞬間を描いたという、横３０ｍ、縦５．５ｍの巨大壁画である。設置されてからおよそ２年。立ち止まって見る人など誰もいない。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆当然だろう。壁画の前を一日３０万人が通るそうだが、大半が通勤・通学客だ。壁画は、完全に渋谷の風景の中に溶け込んでいるのだろう。とはいえ、初めて目にする者には、鮮烈な赤を浴びせかけられるような迫力があった。混雑する駅通路の日常を切り裂くかのようでもある。美術館の奥に鎮座している必要はない、というメッセージさえ聞こえてくるようだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆「明日の神話」をしばらく見ていると、同じような衝撃を受けた作品がよみがえってきた。２年前見たピカソの「ゲルニカ」である。残念ながら本物ではないのだが、初めて横７．８ｍ、縦３．５ｍの原寸大で見ることができたのだった。鳴門市にある大塚国際美術館でのことである。ここには世界中の名画を陶器の板に原寸で焼き付けた作品が展示されている。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆いわばオールコピーの美術館なのだが、正直、圧倒された。これまで美術館や展覧会で本物と対面できたのは、ほんのわずか。学校の教科書や美術全集で見てきたのはすべてコピーであり、縮小されたものであり、部分だったのだ。この先、スペインで「ゲルニカ」の実物を見ることができるだろうか、との思いもあったのかもしれない。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆とにかく原寸大の「ゲルニカ」を“見た”という充実感はあった。ピカソと岡本太郎。黒・白・灰の色調と赤が印象深い色彩。２０世紀の二人の天才芸術家が、２０世紀の人類の愚行にどう向き合ってきたのか。感動という言葉では語れない、重いものが残っている。</description>
      <pubDate>Fri, 2 Jul 2010 18:49:03</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>41　　　達人が描く夏風邪と食</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=HKSOKA</link>
      <description>◆入梅して間もなくのＫＣＴワイド。オープニングのトークで、アナウンサーが「暑さになじみ始めていた体が、突然の梅雨寒で体調を崩しやすい季節です」と注意を呼びかけた。と、いうのにである。その夜は、蒸し暑く、つい窓を開けたまま寝てしまった。案の定、朝方は結構涼しかったようだ。当然のように夏風邪は見逃してくれなかった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆少し咳が出て、クーラーの効いた部屋に入るとゾクゾクしてくる。病院に行くほどのこともないが、夏風邪はなかなか抜けてくれない。屋外で汗をかいたまま、クーラーの室内（テレビ局の私がいる副調整室は、機器類のため寒いぐらい冷えている）に駆け込むという、この繰り返しが長引かせるのだろう。暑さが加わると、食欲も落ち気味になってくる。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆夏風邪と食事といえば、二人の時代小説の達人に忘れがたい作品がある。まずは藤沢周平「三屋清左衛門残日録」の「草いきれ」の章。清左衛門はひどい夏風邪をひき、隠居部屋で床についてしまう。妻に先立たれ、息子の嫁が食事の世話をしている。食欲が衰えたとみると、「一箸でも多く喰わせよう」と、献立に心を砕く。「蕪の酢の物、小茄子の浅漬け、金頭の味噌汁、梅干を添えた白粥」&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆もう一人、池波正太郎「鬼平犯科帳」シリーズの「埋蔵金千両」。ここでは、自称、備前・岡山の浪人が夏風邪をこじらせたことが物語の発端になっている。この浪人、食べ物には贅沢で、同居の女に自分で指図して魚や野菜を料理させている。体がいよいよ弱った時には、「卵を落とした熱い粥」などとある。何気ない献立の中にも、こだわりが感じられるのは池波作品ならではだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆二人の作家の食べ物の描写は巧みで、季節感と色彩豊かな、決して豪華ではないが、文字通り垂涎の料理が登場してくる。二人の文章を読み返すだけで、食欲がわき、夏風邪のことも忘れてしまう。</description>
      <pubDate>Wed, 23 Jun 2010 18:53:47</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>40　　　コウノトリ、ふわり　　</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=HKSHRO</link>
      <description>◆「コウノトリが倉敷で目撃された」。ニュースが流れたのは一昨年の秋だった。足に付けた目印から兵庫県の豊岡市にある「コウノトリの郷公園」で育ち、放されて飛んできたということだった。倉敷コウノトリの会によると、その時は半月ほど、昨年の冬は約２カ月、夏からは半年近く倉敷にいたという。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆鷲羽山ビジターセンターで開かれた「コウノトリ写真展」は、倉敷の会員が昨年夏から半年にわたって撮影したものだそうだ。写真展の模様は、先日のＫＣＴワイドのニュースでも取り上げた。コウノトリが日本の空から消えたとされるのが３９年前。２５年前に旧ソ連から譲り受けた６羽の野生の幼鳥の飼育から始まった保護増殖事業が、着実に進んでいることを、倉敷で実感できる写真の数々だった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆特別に野鳥に興味があるわけでもないし、倉敷でコウノトリを探す根気も自分にはない。だが、ニュースを見ながら、ぜひ一度コウノトリの飛ぶ姿を見ておきたい、その故郷を訪ねたいという気持ちがフツフツと沸いて来た。羽を広げた優雅な姿と、コウノトリという気品を感じさせる響きに興味をそそられたからだろうか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆山陽道から播但道に入り、兵庫県の日本海側に位置する豊岡までは３時間と少し。「コウノトリの郷公園」は、三方を山に囲まれた、いかにも日本の里山というような風景の中にあった。車を降りて公園入り口のコウノトリ文化館に入ろうとした時だった。上空から歓迎してくれるように１羽のコウノトリが、大きく羽を広げてふわりと現れた。人の気配も気にせず、まさに悠然とである。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆現在、野生と飼育中のあわせて１３４羽が確認されており、２００５年以降、自然界には１４羽放されたそうだ。係員が「現在、宮城県と福井県、それにお隣の岡山県で生息の報告があります」と、説明してくれた。目を転じると、田植えが済んだばかりの水田で１羽のコウノトリが餌をついばんでいる姿が見えた。倉敷のコウノトリの故郷は、日本の原風景の中にあった。</description>
      <pubDate>Tue, 15 Jun 2010 09:01:15</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>39　　　ひと時のまどろみ　　　　　　　　</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=HKSOSK</link>
      <description>◆モスクワからの「世界卓球」中継につられて、夜更かしが続いている。卓球は、昔よくやったものだから（と、言ってもピンポン遊びと言ったほうがいいものだが）、つい最後まで見てしまっている。そのしっぺ返しは、日中の＂眠気＂となって、現れてきてしまう。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆この季節の眠気は、テレビや年のせいばかりではないのだろう。気候が、温かく、暑くなると、眠気は加速するものらしい。夏目漱石は『草枕』の中で書いている。「春は眠くなる。猫は鼠を捕る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる」。現代はビルや車はエアコンで調整されているとはいえ、眠気を誘う暖かさというのもあるようだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆寒さから暑さへの変わり目で、体調の変化をきたしやすいところから、だるくなり、眠たくなるとの説もある。睡眠中には一種の脳の栄養補給作業が行われているともいう。「エネルギー消費の観点からすれば、睡眠は『休み』ではない」（養老孟司著『唯脳論』）そうだ。ぐっすり眠れた後は、何かエネルギーを補給した気分になるのは、誰しも実感できるところだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆世界卓球の後、６月にはサッカーのワールドカップが待っている。日本代表の１次リーグは、対カメルーンが午後１１時、対オランダが午後８時半、そして対デンマークは午前３時半キックオフと、眠りには厳しい日本時間が続く。日中の眠気とどう折り合って、テレビ観戦しようか？&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆せめて休みの日ぐらいは、「世の中の重荷おろして昼寝哉（かな）＝子規」とか「春眠をむさぼりて悔なかりけり＝万太郎」といきたいものだ。ひと時のまどろみは、時間に追われる日々には、何よりのぜいたくだろう。そろそろ道端や公園の木陰が恋しい季節でもある。</description>
      <pubDate>Fri, 28 May 2010 11:54:39</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>38　　　壁に貼られた一枚の写真　</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=HKSTKY</link>
      <description>◆壁に貼られた１枚の写真に釘付けになった。写真の中央には、穏やかな表情の黒澤明監督がいる。左斜め後ろには、黒澤作品を支え続けたスクリプターの野上照代さんが。そして黒澤監督の後ろから顔をのぞけているのは…。「な、なんと、台湾の侯孝賢（ホウ・シャオシェン）監督ではないか」&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆ＫＣＴワイド内の企画「私の一冊」の取材で、児島のクリエイティブ・ディレクター赤星豊さんの仕事場を訪ねた時のことである。昔はフリーライターで編集者だった赤星さんが、１９９４年の「月刊プレイボーイ」誌上で企画した「黒澤明・侯孝賢対談」の後の記念写真だったのだ。当時、その対談は「日本と台湾を代表する監督の初顔合わせ」として話題になり、私も読んだ記憶があった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆映画ファンならずとも注目した対談を実現させたのが、赤星さんだったのだ。当の赤星さんは、黒澤監督の左隣に、３０代だったころの若々しい姿で写っている。５月１７日放送した「私の一冊・赤星豊さん」の中でも、その壁の写真はご覧いただいた。赤星さんにとっての宝物にとどまらず、一つの時代を証言する写真に違いないからである。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆侯孝賢監督の「悲情城市」は、大好きな映画である。台湾社会でもタブー視する空気が強かったという「二・二八事件」を初めて知ることにもなったし、淡々とうねるような映画の流れが深くしみてきたものだ。それ以前の「冬冬の夏休み」や「童年往事―時の流れ」、「恋恋風塵」なども忘れがたい。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆侯孝賢監督は、黒澤監督が亡くなって７年後の２００５年の東京国際映画祭で、黒澤明賞を受賞している。二つの才能が出会った一枚の写真に、エリアの児島で出会えるとは！　久しぶりに興奮した取材となった。さらにうれしいのは、あの１９９４年の対談が、ことし黒澤生誕百年を記念して出版された「大系黒澤明―第４巻」に再録されたことだった。</description>
      <pubDate>Mon, 24 May 2010 09:42:07</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>37　　　倉紡記念館と４０年前の記憶</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=OKAHKD</link>
      <description>◆近くに住んでいる倉敷市民でも、訪れた人は案外多くはないのではないだろうか。美観地区のアイビースクエアにある「倉紡記念館」である。開設されたのは、クラボウ創立８０周年記念の昭和４４年というから、もう４０年を超す歴史を刻んでいる。私自身、初めて入ったのは３年前のことだった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆その時は、第１室「明治時代」から第２室の「大正時代」を通って、第３室の「昭和時代（戦前・戦中）」に進んだ時、棟方志功が襖に描いた書画が、強烈に目に飛び込んできた。戦時中の昭和１９年、当時の大原總一郎社長から従業員の心のよりどころとなる作品を、と依頼された棟方が「玉琢かざれば器とならず、人学ばざれば道をしらず」との文字を書いていたものだ。以後、時折この襖を見たくなって、２度、３度と通っている。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆５月開幕の「上海万博」リハーサルのニュースを見ていたら、倉紡記念館のもう一つのお目当てである第４室「昭和時代（戦後）」にある７０年大阪万博「せんい館」コーナーを思い出した。上海万博リハーサルの各パビリオン前の行列と、会場の雰囲気が大阪万博によく似ていたからだろう。４０年前の大阪万博もどこも大変な混雑が伝えられていて、私はただ一つ、何時間並ぼうと「せんい館」だけを見ようと決めていたものだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆当時、映像作家の松本俊夫に心酔していたこともあり、松本が総合ディレクターを務める同館の４面の大スクリーンに投影されるスペースプロジェクション「アコ」だけは見たかったからである。振り返ってみても、日本の産業の老舗である繊維業界、民間企業体によるパビリオンで、新しい映像空間と出会えたのは驚きである。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆当時３２歳だったイラストレーター横尾忠則による建築工事途中の外観のパビリオンやポスターも忘れがたい。その中で上映された１５分の「アコ」は、１０台の映写機と５７台のスピーカーで、眠っていた感覚を呼び覚ましてくれるような心地良さがあった。もう２度と体感できないが、倉紡記念館を訪ねるたびに、あの空間の記憶はよみがえってくる。</description>
      <pubDate>Fri, 30 Apr 2010 17:30:29</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>36　　　二つがうまくいけば幸せに　　</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=OKAYMG</link>
      <description>◆映画監督の大島渚さんには､一度だけ会ったことがある。「愛の亡霊」（１９７８年）の公開後のことだったから、もう３０年も昔のことだ。「愛のコリーダ」で国際的な評価を高め、続く「愛の亡霊」でカンヌ映画祭監督賞を受賞し、ロックのスーパースター、デヴィッド・ボーイを主役に「戦場のメリー・クリスマス」の撮影に入ることが、大きな話題になっていたころだった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆その時の印象といえば、意外と言っては失礼なのだが、礼儀正しく、きちんとした人、というものだった。大島さんといえば、妥協を許さない権力との戦い、激高すると飛び出す「バカヤロー」発言など、映画は支持しても、どうも付き合いづらい人、という“偏見”があった。ところが、２０歳近くも年下の私にも、きちんと挨拶してくれるし、丁寧に話をしてくれるのだった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆その十数年後に出た大島さんの著書「理屈はいい　こういう人間が愚かなんだ」（青春出版社）を読んで納得するものがあった。本の中で「君の名は」などで知られる大庭秀雄監督についていた助監督時代のエピソードを書いている。大庭監督の自宅へ行った日、先輩のチーフ助監督の監督昇格が決まったことが話題になった。大島さんが大庭監督に「彼はいい映画をつくれるでしょうか」と尋ねたそうだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆「つくれるわけがないじゃないか。彼は玄関先のあいさつもできない男だよ」。即座に大庭監督は答えた。大島さんが父親となり、子育てについて考えていた時、よみがえった言葉だそうだ。いわく「子育てで大切なことは、一つは礼儀作法であり、もう一つが質素倹約」。礼儀作法とは人間関係、質素倹約は人間と物との関係のことだ。この二つがうまくいけば「それだけで十分幸せに生きていくことができる」と書いている。大島さんの説く礼儀作法は「まず、あいさつ」と明快だ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆４月は、入社、入学、異動と、新しい出会いの季節である。新しい土地で、新しい組織や集団の人間関係に不安も多いだろう。それを切り開いていくのは、自分からのあいさつだ。そして新人に限らず、日々の人間関係の入り口も、あいさつから始まるものなのだろう。</description>
      <pubDate>Fri, 30 Apr 2010 17:14:52</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>35　　　名づけて「ＥＴＣ型」　　　</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=OKAKCH</link>
      <description>◆入社式や役所の辞令交付などを終え、新社会人たちは研修の真っ最中だろうか。このところ街でもよく.濃い目のスーツ姿の若い男女を見かける。フレッシュな若者達の姿は、街に、職場に、新しい風を運んでくれるようだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆この春の新入社員のタイプが発表された。名づけて「ＥＴＣ型」。厳しい就職戦線をくぐり抜けてきた今春の新入社員は、携帯などＩＴ活用にも長けている。情報交換も積極的、時間の使い方も効率的でスマート。よって性急に関係を築こうとすると直前まで心の“バー”が開かないので、スピードの出し過ぎにご用心、というわけである。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆日本生産性本部の「職業のあり方研究会」が、命名した。新入社員のタイプのネーミングは、かつては現代コミュニケーションセンターが発表していたもので、昭和４８年度の「パンダ型」（おとなしく可愛いが、人になつかず世話が大変）が最初だそうだ。以来、主なところを見ると、５２年度「人工芝型」（見た目きれいで根が生えず、夜のネオンでよみがえる）、６１年度「日替わり定食型」、６３年度「養殖ハマチ型」など、など。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆平成に入ると元年度「液晶テレビ型」から１１年度の「形態安定シャツ型」、１７年度「発光ダイオード型」、２０年度「カーリング型」、そして昨年の「エコバッグ型」へと続いた。時代の空気と新入社員の特徴をうまくとらえた命名には、思わずニヤッとするものもある。が、どうも大人の側が型に当てはめて、「今年の新人はこうだ」とイメージを持つことで安心したい面があるのではないだろうか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆今春の「ＥＴＣ型」新入社員には、効率性を重視するあまり、人との直接的な対話がなくなるのが心配といい、会社や上司は、直前まで心のバーが開かない彼ら彼女らには、ゆとりを持って接し、長く活躍できるように育ててほしい、と戒めている。さて、命名された新入社員の皆さん、「一人ひとり個性があるのに、ひと括りに型にはめられて」と、憤るのもいいのではないだろうか。大人社会は、またそういう若者の個性あるエネルギーを待っている。</description>
      <pubDate>Tue, 20 Apr 2010 13:09:23</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>34　　　テレビで未来に残したいもの　　　　</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=OKAEHM</link>
      <description>◆北東北との交流をうたった今年の「倉敷音楽祭」。秋田民謡、津軽三味線、盛岡さんさ踊り、秋田のわらび座による歌舞と音楽パフォーマンスなど、３日間存分に楽しませてもらった。音楽祭のためだけにやって来た、九州の唐津市で市議をしている知人が「倉敷は凄い。文化振興財団の企画力には感動した」との言葉を残してくれた。一市民としてもうれしいことだった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆今回の音楽祭の中で異色だったのが、芸文館ホールロビーでの「遠野の昔話～心のふるさと～」だった。岩手県の遠野地方に伝わる昔話を、語り手の正部家(しょうぶけ)ミヤさん（８７）と姪が語るものだ。「むがす、あったずもな」で始まる、遠野の昔話の数々。岩手弁というのだろうか、分からない言葉も多かったが、物語の情景は生き生きと浮かび上がってくるようだった。淡々としゃべっているようでいて、独特のリズムを刻む語りは心地好く、柔らかく耳に入ってきた。音楽祭に「遠野の語り」を入れた主催者の意図も伝わってくる。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆正部家さんは小さいころ、父親から毎晩のように囲炉裏端で語ってもらっていたそうだ。その父親も子どものころは、学校で先生たちから昔話を教わっていたという。人から人へ伝えられ、温かい記憶とともに、正部家さんの体に遠野の昔話はしみこんでいるのだろう。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆暮らしの中で語り伝えられ、ふるさとに根付いた昔話や民話、伝説…。囲炉裏端がなくなり、核家族化が進み、子どもがテレビやゲームに夢中になる中にあって、正部家さんのような「伝承の語り手」が減っている。だが、口承文芸を残そうという動きも、各地で広がっているのも事実だ。聞き取り調査や本で覚えた語りをする「現代の語り手」たちである。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆ＫＣＴでは４月６日からの毎週火曜日、総社市在住の岡山民俗学会名誉理事長であり、岡山県語りのネットワーク会長の立石憲利さんによる新番組「立石おじさん　おかやまの昔話」（１回１５分）が始まる。岡山県でも昔話や民話、伝説などが、たくさん伝えられてきた。その伝承を絶やすまいと半世紀以上も各地で聞き取りし、採録を続けている立石さんは、語り手としても広く知られている。口承文芸の衰退が「テレビの普及によって」と言われるのなら、では、そうした「ふるさの文化」を未来へ残していくために、今こそテレビが役立ちたい。新番組には、そんな思いもある。</description>
      <pubDate>Thu, 1 Apr 2010 14:07:06</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>33　　　わらび座の原点を見る</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=OKAKGW</link>
      <description>◆7年ほど前だったが、公演の日の劇団の動きを１日取材させてもらったことがある。劇団は、秋田県の田沢湖近くに本拠を置く「わらび座」。上演するのは如月小春作のミュージカル「テンテン天まで飛んでいけ！」だった。俳優は５人で、スタッフは音響と照明だけの、合わせて７人の少人数編成である。内部を改造した１台のバンに、舞台セット、音響、照明機器を詰め込み、もう１台の乗用車と共に、全国を公演して回っているのだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆会場は倉敷公民館だった。大ホールは２階。演じる側にはエレベーターのない２階は、難敵なのだ。午前９時前、入念に体操をした後、荷降ろしと舞台づくりが始まった。この日は、倉敷に招いた公演実行委員会の助けがあって、重い音響機器や舞台装置を短時間で２階まで運び上げたが、実行委メンバーはかなりこたえた人もいたようだった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆俳優たちは休む間もなく、ランニングを始める。寒い日だったので外はあきらめて、舞台や客席の間を走ること、およそ３０分。続いては銘銘が壁や床に向かって、発声練習だ。台詞や歌、早口言葉などさまざまだが、腹の底から声を出し続けているという印象だった。この後、音響や照明も入って、パートごとの音あわせや台詞回しの確認作業が続いた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆やっと昼食、と思いきや、何人かは納得がいかないのか、楽器や振りの練習を続けている。午後２時開演の３０分前までは体を動かし続けていたようだ。それがプロといってしまえばそれまでなのだが、取材させてもらっている方が、本番を前にグッタリという凄みが伝わってきた。民舞をはじめ、歌唱、楽器演奏、演技と、日ごろからどれだけ鍛えているのだろうか。その積み重ねは、とても素人には想像できなかった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆２０日から倉敷音楽祭「北東北交流フェスティバル」が始まる。メーンは、わらび座による「北東北歌舞集―四季の詩」だ。わらび座といえば、近年はミュージカルで広く知られている。その舞台には、土に生きてきた日本人の独特のリズムが流れている、との評判だ。「四季の詩」では、わらび座の原点である、民舞、民謡が堪能できるはずだ。７年前に取材させてもらった「テンテン」の主演女優さんも出演している。</description>
      <pubDate>Thu, 13 May 2010 09:42:37</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>32　　　男子高校生たちの涙</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=OKAHKS</link>
      <description>◆ＫＣＴの毎春の恒例となった「高校卒業式シリーズ」。この企画には毎年、私自身涙腺が緩んでいるが、今年は特に１回目の玉野高校、２回目の玉野光南高校での男子高校生たちの涙には泣けたし、驚きもした。人目をはばからず、というのだろうか。あれだけの涙を流せるのは、きっと充実した３年間を送ってきたからだろう。その素直な感情表現には好感が持てた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆「男は泣くもんじゃない」。一世代前の人には、そんな言葉が頭の中に残っていないだろうか。歴史を見ても、近年、日本人は泣くことは少なくなっているという。昭和１５年に出た民俗学者の柳田国男著「涕泣史談」などが指摘してきたところだ。明治以降の「富国強兵」の風潮の中で、男は人前で泣くことを抑えられ、戒められてきた。時には卑しめられ、素直に泣くことが難しくなった。　　　　　　　　　　&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆司馬遼太郎も「世に棲む日日」の中で「人間は中世よりも近代に入ると、泣かなくなった。中世ではよく泣いた」と書いている。そして「中世よりもはるかにくだった吉田松陰の時代ですら、人間の感情は現代よりもはるかに豊かである」と続けている。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆松陰は泣きに泣いている。友人と別れる酒の席で、会話が途切れるほどの涙を流す。翌朝、友を見送る時にも、道に立ったまま号泣する。堂々と臆せず、心の底から泣く。そして友の名を絶叫する…。小説の表現上の誇張はあるのだろうが、情熱がほとばしるような幕末維新の人間像が立ち上がってくるようだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆戦後、大きく変わってきたといわれるのがスポーツの世界である。「根性論」全盛のころは、涙は隠すのが美徳とされてきたようだ。だが、最近はオリンピックをはじめ、プロスポーツの世界でも、喜び、悔しさに限らずテレビカメラの前で、男が泣く姿は特別なことではなくなってきたようだ。無理に隠そうとせず、涙のコミュニケーションが当たり前に語られる時代になりつつあるのだろうか。</description>
      <pubDate>Mon, 15 Mar 2010 18:15:39</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>31　　　締めくくりの１９５㍍　</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=OKAOKA</link>
      <description>◆マラソンが紀元前のマラトンの戦いに由来していることは良く知られているが、実際のマラトンとアテネ間は３６キロほどだそうだ。マラソンが今の４２・１９５キロになったのは、１９２４年のパリ五輪からのことである。その１６年前のロンドン五輪で使われたウインザー城から競技場までの距離が、基準になったという。半端な数字になったのには、二つの説が伝えられている。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆英国王室の一人が、窓からスタートが良く見えるようにしてほしいと頼んだことから、付け加えられたためだという。もう一つがゴールをロイヤルボックスの前にするため、競技場を３分の２周したところに設定し、端数が出たという。いずれにしても案外わがままな決められ方をしたようだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆だが、この端数がドラマチックなレースを、さらに盛り上げることになる。マラソンの持つ物語性や勝負の面白さに微妙な味付けをしてきた。陸上の５千㍍や１万㍍、５０キロ競歩には、どこか制限された窮屈さが付きまとう。それに比べてマラソンの端数は、解放感の中に繊細さと余韻を生んできた。特に近年のマラソンは二段階勝負とも言われ、３５キロから４０キロあたりまでは、先頭集団についていけるかのサバイバルレースが続く。そして最後の端数を含めた数キロで勝負を決める。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆勝敗にこだわらない市民マラソンとなると、受け止め方はだいぶ違うようだ。マラソンランナーとしても知られた、フォーク歌手の高石ともやさんがかつて「最後に付けられた１９５ｍは、苦しかった４２キロを思い出しながら楽しんで走るためにあるもの」と語っていた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆２８日は「そうじゃ吉備路マラソン」である。岡山県南では唯一のフルマラソンも行われる。ＫＣＴではゴールにカメラを据えて、４２・１９５キロを走り終えた選手たちを待つことにしている。過酷な４２キロと、締めくくりの１９５㍍。その良い表情をとらえていきたい。</description>
      <pubDate>Fri, 26 Feb 2010 09:48:03</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>30　　　地元選手を応援できる冬の五輪</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=OKAHRO</link>
      <description>◆「一番古い冬のオリンピックの記憶は？」。以前聞かれた時、とっさに出た答えが「猪谷千春選手が銀メダルを獲った大会」だった。５４年前の１９５６年、イタリアのコルティナダンペッツォで開かれた五輪である。まだ家にテレビはなかった。ラジオと新聞、それに映画館で上映されたニュースで、かなり強い印象が刻み込まれたようだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆日本人初の冬季五輪メダリストが誕生したその大会では、トニー・ザイラーという大スターも生まれた。猪谷選手が銀だった回転をはじめ、大回転、滑降で金を独占し、アルペン三冠王に輝いたのだった。トニー・ザイラーはその後、俳優や歌手としても活躍した。昨年亡くなったが、「白銀は招くよ！」の弾むようなメロディーは、今もスキーシーズンになると流れてくる。そうした後からの記憶も重ねられて、コルティナダンペッツォは忘れられないものになったようだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆４０年ほど前、冬の東北を旅した時のことだ。雪に覆われた神社で、子どもたちがスキーのジャンプをしているところに出くわしたことがあった。神社の階段の片側半分を雪で固めてジャンプ台にしているのだ。深い雪の中では、野球もサッカーも出来ないのだろう。北と南の遊び方の違いに目を奪われて、ジャンプ遊びを飽きずに眺めていたものだった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆瀬戸内地方では、かつてはスキーやスケートは無縁のスポーツだった。冬のオリンピックといっても、遠い世界で一部の国だけがやっているぐらいの認識しかなかったのだろう。猪谷選手の１６年後の札幌大会あたりから、日本選手のメダル獲得が目立ってきたが、盛り上がりは夏に比べるすべもない。それだけに温暖な瀬戸内地方、それも倉敷市出身の高橋大輔選手の、４年前のトリノ大会での８位入賞は、高橋選手自身は不本意だったようだが、快挙として長く讃えられるべきだろう。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆バンクーバー冬季オリンピックが近づいてきた。冬のオリンピックで２大会連続で地元選手を応援できるのは、やはり凄いニュースである。しかも倉敷市が、男子フィギュアの世界でトップレベルの選手を生んだということは…。日本時間の１７日のショート、１９日のフリー、この冬の倉敷の昼は熱くなりそうだ。</description>
      <pubDate>Thu, 11 Feb 2010 14:51:15</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>29　　　アマチュアのプロレスラー？　</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=OKAOSK</link>
      <description>◆先日のＫＣＴワイドで、一度に二つのプロレス話題をお送りした。一つは、倉敷市に住む、一見普通のお父さんでもある高校教諭が、プロレスに打ち込む姿を紹介したもの。もう一つが、プロレス団体「ドラゴンゲート」所属の矢掛町出身、しゃちほこマシーン選手に生出演してもらったものだ。番組の中で偶然分かったのだが、しゃちほこマシーン選手がプロ入りする時、相談したのがその高校教諭だったというおまけもあった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆ＫＣＴのようなコミュニティーチャンネルで、プロレスを取り上げる機会はほとんどない。だが、倉敷でも町の話題として、プロレスがないわけでもなかった。それが、先生とアマチュア・プロレスラーという二つの顔を持つ高校教諭だった。アマのプロレスというと、おかしいと思う方もいるだろうが、「プロレス」というのは一つのジャンルである。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆私自身、映画「ＡＬＷＡＹＳ―三丁目の夕日」で描かれていたようにテレビの黎明期に、力道山を見て育った世代だ。相撲と野球しか知らなかった子ども達には、「男が強くある」ことを体現するレスラー達は憧れの的だった。力道山に続くアントニオ猪木、タイガーマスクなど、格闘技と巧みな演出が融合したプロレスの、特に面白い時代が続いたものだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆もともと的外れなのだが「八百長との批判」については、３０年前に出た直木賞作家、村松友視の「私、プロレスの味方です」という強い味方を得て、問題にもならなくなった。競技性と演技性、それに最近は娯楽性と総合格闘技系への分極化も見られるが、プロレスは一つのジャンルとして間違いなく確立されてきた。そこには事業収入を求めないアマチュアのプロレスラーも当然存在するのだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆かの高校教諭は来月、岡山で「俺たちプロレス軍団」の大会にマスクマン、グレートムタイガーとして出場する。昨年の大会を見る機会があったが、大学時代はレスリング・グレコローマンの選手として活躍、現在も高校のレスリング部を指導しているだけに、侮るなかれのスピード、技の切れ、試合の面白さだった。今年もアマのプロレスラー達の情熱あふれるパフォーマンスを楽しみにしている。</description>
      <pubDate>Mon, 1 Feb 2010 09:14:17</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>28　　　「新歴史年表世代」の登場</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=OKATKY</link>
      <description>◆１月１０日からの週、ＫＣＴではワイドやスペシャルで「成人式特集」を組んだ。エリアでは倉敷市で４,９１５人、総社市８０１人、玉野市７６４人が、それぞれ大人の仲間入りをした。全国では約１２７万人、３年連続で過去最低を更新することになった。私たち団塊の世代のほぼ半数である。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆今年の新成人たちは、「新人類ジュニア」と呼ばれているそうだ。昭和の流れを世代の呼び方から振り返ってみると、昭和一桁世代に始まり、焼け跡世代、団塊の世代、しらけ世代、断層世代、新人類、バブル世代、団塊ジュニア、氷河期世代、ゆとり世代と続き、新人類ジュニアとなっている。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆とりわけ今年の新成人の特徴は、全員が初めて平成生まれということだ。新成人が生まれた年は、昭和天皇が崩御し、昭和から平成へと元号、時代が劇的に変わっている。世界を見ても冷戦時代の象徴、東西ドイツを隔てていたベルリンの壁が崩壊した年でもあった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆あれから２０年。新しくなった日本と、世界のなかで彼ら彼女らはどう育ってきたのだろうか。当人達にとっては当然のことながら、新しい時代を歩んできたという実感は全くないだろう。ただ、彼ら彼女らの世代意識をのぞくと、旧世代の人間たちはハッとすることがある。玉野市の成人式会場でディレクターの質問に答えた時がそうだった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆「平成生まれの皆さんは、『昭和』というとどんなイメージですか？」。あっけらかんと次々出てくる答えには、思わず苦笑いだった。「白黒テレビ」「戦争かな」…。そう、昭和とははるか遠いモノクロの世界であり、日本が戦争をした時代だったのだ。新成人たちの描く「昭和」。確かに彼ら彼女らは歴史年表が一枚めくられた時に生まれた世代なのだ。新成人の声を聞きながら、旧世代人としては彼ら彼女らを「新歴史年表世代」と呼びたくなった。</description>
      <pubDate>Sat, 23 Jan 2010 19:10:34</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>27　　　一冊の本がつなぐ輪</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=HROHKD</link>
      <description>◆鳩山首相が１月１１日、東京駅近くの書店を訪れ、経済や歴史、思想などの本２８冊、計約５万円をまとめ買いしたそうだ。半藤一利「昭和史〈戦後篇〉」、佐藤優「日本国家の神髄」、渡辺公三「闘うレヴィ＝ストロース」、内田樹「日本辺境論」、ロバート・ライシュ「暴走する資本主義」、水村美苗「日本語が亡びるときー英語の世紀の中で」、ジャック・アタリ「２１世紀の歴史ー未来の人類から見た世界」、立川談志「談志　最後の落語論」など多ジャンルにまたがる。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆案内したのは編集工学研究所所長の松岡正剛さんである。松岡さんといえばネット上で書評サイト「千夜千冊」を現在も展開中で、読書の世界に限らず、大きな話題を呼び続けている編集者だ。記者からの首相への「通常国会が迫り、読書の余裕があるのか」との質問は、ピントが外れているようにも感じられた。松岡さんは「１冊を５分間読み、そのキーワードをつかむだけでも意味がある」とアドバイスしたそうだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆「忙しさを理由に後回しにした本は、もう読まれることはないだろう」。そんな先人の言葉には、私自身妙に納得できるところがある。これまで何冊、積み重ねただけで終わっただろうか。要は「いま、本を手に取りたいのか、読みたいのか、どうか」に尽きるような気もしている。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆今年は「国民読書年」である。読みたい本を自由に読む、それが読書の面白さであろう。気軽に本を選び、自由に読める環境づくりなどは、大いに進めてほしい。ＫＣＴワイドの中でも新シリーズ「私の一冊」をスタートさせた。各界で活躍する皆さんに登場していただき、人生を決めた一冊、最も心を動かされた一冊を語っていただこうという企画だ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆「その一冊」は、読んだその人個人の衝撃であっても、その一冊は誰もが読むことができる。一冊の本は、そうして古くから読み継がれ、未来へも読み継がれて行く。読書することの面白さ、目に見えないネットワークの広がりを、テレビからもお伝えすることが出来ればと、思っている。</description>
      <pubDate>Wed, 13 Jan 2010 16:43:40</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>26　　　「今」を問う大原總一郎企画</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=HROYMG</link>
      <description>◆ＫＣＴが年間重点企画として取り組んできた「大原總一郎生誕１００年記念シリーズ」が終わった。１部と２部の２８タイトル、１回が１０分前後で放送時間は合わせて６時間近くになった。年間を通して一つのテーマにこれだけ取り組めたのもＣＡＴＶなればこそと、改めて加入者、視聴者の方々に感謝である。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆總一郎氏が亡くなって４１年になる。生誕１００年の節目を制作のきっかけにしたとはいえ、回が進むにつれ「今やって良かった」「今やっておかねば」との思いが強くなってきたのも事実だ。何といっても４１年という時間は長い。その昔は、日々はるか遠ざかっていく。幸い倉敷に限らず、東京、富山、沖縄、神戸など、各地、各方面からたくさんの貴重な証言をいただき、記録としても残すことが出来た。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆取材、制作に当たったのは、いずれも總一郎氏没後に生まれた若いスタッフ達である。巨大な孫三郎の陰で「名前は聞いたことがある」程度でスタートしたスタッフもいたが、地道な取材を重ねるうち新しい発見を次々と知らせてくれた。思い出話だけではない。神戸大の平野恭平准教授による「ビニロン開発の功績」など、若い学者による總一郎氏の歴史的位置付けも進んでいる。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆テレビでありながら「動く總一郎氏」がなかった点も、１２月１７日と１８日の２回にわたって放送した「總一郎と鷹」で解消した。日本ワシタカ研究センターの中島欣也顧問が提供してくれた８ミリ映画である。レトロな味のある８ミリ独特の映像が、タカと遊ぶ總一郎氏や大原美術館中庭での告別式の模様を再現してくれた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆全シリーズをこの年末年始に再放送する。インターネット会員の方は、動画でご覧いただける。ＤＶＤ化も進めている。昨年のリーマン・ショックによる金融危機から不況に揺れ、格差拡大、余裕を無くしたかの社会、夢を持ちにくい若者達、地方の疲弊など、政権交代後も閉塞感をぬぐいきれなかった２００９年。總一郎氏の生きた道を追ったのは、決して回顧ではなく、「今」に問いかけるものであったと振り返っている。</description>
      <pubDate>Mon, 28 Dec 2009 14:26:18</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>25　　　今年の漢字　ズバリ！「新」</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=HROKCH</link>
      <description>◆２００９年の世相を表す年末恒例の「今年の漢字」が発表された。京都・清水寺で森清範貫主が、特大の和紙に力強く揮毫した文字は『新』だった。墨の流れが新を形作っていくに連れ、心の中で「ズバリだったゾ」と、思わずニヤリである。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆その２日前、ＫＣＴワイドの私の担当コーナー「今月のノート」で、一足早く今年の漢字の予想をした。予想というより私が非常勤講師を勤めている川崎医療福祉大学の４９人の学生に、「皆さんはどの字を選ぶ？」と書いてもらっていたのだ。結果は「新」と「薬」が５票ずつでトップだった。「今年の漢字」では、薬は新に次ぐ票を集めたそうだから、まさに１、２位を的中させたというところだった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆とかく社会への関心が薄いといわれがちな現代の学生だが、世相を読み取るアンテナはなかなか鋭いようだ。一方で気になったのが、いずれも１票ずつだったが、病、乱、驚、落、闇、苦、酷、恐、寒、低など、学生を取り巻く空気は、かなりしんどいことを思わせる漢字が寄せられていた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆何とか未来へ向けた明るい出口は見えないものか。新には、オバマ新大統領、鳩山新政権、行政刷新、新裁判員制度、イチローの新記録など、「新しいことに期待した１年だった」とのイメージが描かれたのだろう。歓迎できない新型インフルエンザにも、早く新ワクチンをとの思いがある。新は新しい年への希望をつなぐ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆白川静「常用字解」によると、新は「辛と木、斤を組み合わせた形。辛はとってのついた大きな針で、位牌を作る木を選ぶとき、この針を投げて当たった木を斤（おの）で切ることを新という。神意によって選ばれた木を新しく切り出すことで、『あたらしい、はじめ』の意味になる」とある。さて、新しい年の「新」は、どの木が選ばれるのか。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</description>
      <pubDate>Wed, 16 Dec 2009 18:35:01</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>24　　　非日常の暗闇での体験　　　　</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=HROEHM</link>
      <description>◆１２月１日は「映画の日」である。今から１１３年前の１８９６年の１１月末、神戸で日本で初めて映画が一般公開されたのを記念して制定された。もっともこの時の映画はスクリーンに映写されたものではなく、一人ずつ箱の中を覗き込むキネトスコープと呼ぶものだったそうだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆映画の日にちなんだわけでもないが、熱烈な映画マニアでも知られるクエンティン・タランティーノ監督の新作「イングロリアス・バスターズ」を見た。ナチ占領下のフランスを舞台にした戦争映画である。タイトルが始まると、何と１９６０年の米映画「アラモ」の哀感漂うテーマ曲「遥かなるアラモ」が流れ始めるではないか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆またまたオールドファンの気分は、タランティーノ監督にわしづかみにされてしまった。古い映画の引用からオマージュ、パロディは、監督のお手の物だ。それも名作映画というのではなく、Ｂ級と呼ばれた映画をタランティーノ流に処理するのが、ファンにはたまらない。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆テーマ曲が使われた「アラモ」を私が見たのは、高校時代のふるさと・因島の映画館だった。当時、４万２千人余りの人口に７館あった映画館は、いまやゼロ。時代はシネコン（複合映画館）に移り、地方から次々と映画館が消えている。倉敷市も４年前に、倉敷東映を最後に街の映画館はなくなった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆岡山や倉敷とその近郊はともかく、県北や島など映画館のない土地の子ども達は、スクリーンで映画を見る機会がなくなっている。日常の部屋の中で今を伝えるテレビもいいのだが、非日常の暗闇の中で大スクリーンに向かい合う経験を持ってほしいのだが…。タランティーノ監督の豊富な映画体験がほとばしるような画面を見終わった帰り道で、そんなことも頭に浮かんできた。</description>
      <pubDate>Tue, 1 Dec 2009 19:17:59</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>23　　　長考するのは、どんな時？</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=HROKGW</link>
      <description>◆新世代対決と話題を呼んだ「第１７期大山名人杯倉敷藤花戦」の第２局は、里見香奈倉敷藤花が中村真梨花女流二段を破って初防衛に成功した。テレビから流れる有吉道夫九段と鈴木環那女流初段の掛け合い大盤解説も、楽しく、面白かった。といっても盤上の両者は、ともに２時間の持ち時間を使い切っての熱戦だった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆持ち時間というと、大山康晴十五世名人の忘れられない言葉を思い出す。１９９０年５月に前人未到の通算１,４００勝を達成した後のことだったと思う。かねてから気になっていたことを聞いてみた。「名人が長考に入られる時は、やはり分が悪い時ですか？」。名人からは即座に答えが返ってきた。しかも予想もしなかった答えで、今でも強く印象に残っている。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆「うまく行き過ぎている時ですよ」。物事はそんなにうまくいくはずがない。それを調子に乗ってドンドン押していくと、とんでもないことになってしまう。そんな説明をしてくださったと覚えている。＂受けの大山＂といわれた時期があった名人は、色紙にはよく「忍」と書いていた。分が悪くなった時、耐え忍んで長考を続けるのかと思っていただけに、この答えは意外だった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆以来、名人の「長考論」は、物事を考える時の一つの尺度のように思い返している。例えば、財テク、不動産投機などの言葉が踊ったバブル経済の時代とその後の失われた１０年。まさに日本経済はイケイケドンドンと、長考を怠ったツケに長く苦しんだのではなかったか。言うまでもなく政治こそ目先の一手、二手ではなく、的確に何手先までも読む姿勢が求められよう。今は長考の時なのか、それともすぐに次の一手を打つ時なのかを、含めて。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆タイトルを防衛した里見倉敷藤花は、攻めに定評がある。最近は、大山名人の棋譜を丹念に調べているそうだ。「もう少し落ち着いた手も指せるようになりたい」と。まだ１７歳。ますます強くなりそうな予感をさせるコメントだった。&lt;br&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</description>
      <pubDate>Fri, 4 Dec 2009 17:06:21</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>22　　　勝負師の一瞬の凄み</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=HROHKS</link>
      <description>◆大山康晴十五世名人には、新聞社の東京支社時代、詰め将棋の原稿をもらうため何度もお会いした。千駄ヶ谷の将棋会館や荻窪の自宅から都内のホテルまで、場所はいろいろだったが、一度も締め切りに遅れることなく原稿を渡してくれたものだ。今から２０年ほど前のこと、名人は最初のガン手術から体調も回復されたころだった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆そのころのことは、名人の没後に出版された将棋ライター、河口俊彦さんの「大山康晴の晩節」に詳しい。名人の勝負師としての本当の凄み、つまり「偉大さは、全盛期より、棋力、体力の落ちた晩年にあらわれている」と。名人が棋界に長く君臨した要因として、河口さんは技術のほかに「人間的な威圧感」を挙げている。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆私たち記者には、いたって気さくで、どんな質問にもいやな顔もせずに答えてくださった。勝負師というよりも好々爺という印象だったのだが、一度だけその凄みに射抜かれるような経験をしたことがあった。前人未到の公式戦１,４００勝達成を間近にしての心境をインタビューした時のことだった。ホテルのロビーで最後に写真撮影をお願いし、名人に立っていただいてカメラを構えた時のことだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆「ここは首が切れてまずいね」と名人。初めは何のことか分からなかった。ファインダーをのぞいて、足が震えてくるような驚きを覚えた。なんと、ホテルの壁と床が交わる線が、ちょうど名人の首のところを横切っていたのだった。大記録目前にげんかつぎは当然あるのだろうが、「この人は後ろに目がついているのではないか」、いや、それ以上にカメラを見て自分の首を壁と床の線が横切っていることが瞬時に分かるとは！　大げさに言えば、相手を見通してしまう＂殺気＂のようなものを感じたのだった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆倉敷市にとって１１月は、将棋の月である。倉敷の生んだ不世出の大棋士の功績をたたえて創設された「大山名人杯倉敷藤花戦」が開かれるようになったからだろう。第１７期戦の今回、11日に東京の将棋会館で第一局が行われ、１７歳の里見香奈・倉敷藤花が先勝した。第二局は22日に倉敷市芸文館である。挑戦者・２２歳の中村真梨花女流二段との新世代対決に興味は尽きない。</description>
      <pubDate>Fri, 4 Dec 2009 17:07:00</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>21　　　あの青春をもう一度！</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=HROOKA</link>
      <description>◆１１月３日、倉敷市芸文館アイシアターであった「第３回おやじバンドコンテスト」を存分に楽しんだ。往年のエレキ少年達が何年かぶりにバンドを組んで演奏する、といったたぐいを想像した人は驚かれたのではないだろうか。どのバンドもかなりのキャリアを積んでおり、相当のレベルである。「燃やせ！おやじ魂　あの青春をもう一度！」。おかげでこちらもキャッチフレーズ通りに、少し甘酸っぱい、愉快な時間を過ごすことができた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆エレキ少年達が登場したのは、１９６０年代だった。あの時代に日本のポピュラー音楽も、大きく変化したようだ。それまでは、美空ひばりや三橋美智也、村田英雄など歌謡曲一色。いまの熟年世代、中でも団塊の世代は、家のラジオや繁華街に流れる流行歌に包まれて育った。そこには大人も子どもも一緒に口ずさめる日本の歌があったのだが…。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆変化の兆しは、ラジオから始まった。５０年代からエルビス・プレスリー、パット・ブーン、コニー・フランシスなど、いわゆるポピュラー・ミュージックが、深夜放送から聞こえ始めていた。が、やはり決定的な影響を与えたのは、ビートルズとベンチャーズだったろう。ベンチャーズ登場の衝撃については、直木賞受賞作の芦原すなお「青春デンデケデケデケ」が、同世代の思いをユーモラスかつ痛快に伝えてくれている。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆ビートルズとベンチャーズ、初めて聞く種類の音にたちまち引き込まれたものだった。中でも「自分達の手で音楽を生み出したい」と楽器を手にする者が出てきたことが大きかった。それまでの歌謡曲といえば、作曲家、作詞家がいて、楽団があって、歌手がいるという、ほぼ完全な分業制。やがて加山雄三（弾厚作）や寺内タケシ、そしてフォークソングまで自作の曲を歌い、演奏し、シンガー・ソング・ライターなる言葉も生まれた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆もちろん少年達の多くは、楽器を手にオリジナル曲をなりきって歌い、弾くだけだったが、これがなかなかイカした（今で言うカッコいい、か）。私自身はラジオとレコードで聞くだけだったが、ガンガンとエレキ音を響かせ、ドラムをたたく彼らがうらやましくもあったのだ。ＫＣＴでは「おやじバンドコンテスト」の模様を１４日に前半、１５日に後半に分けてお届けする。テレビの前でもう一度あの時代に帰ってみたい。</description>
      <pubDate>Fri, 4 Dec 2009 17:02:21</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>20　　　年賀状を書き始める季節だが　　　</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=HROHRO</link>
      <description>◆１０月２９日のＫＣＴワイドで、倉敷郵便局でも年賀状の発売が始まったニュースを取り上げた。毎年のことながら、新年へ向けてだんだんと背中を押されるような気分になってくる。今年こそは早く書き始めたいと思うのだが、逆に年々取り掛かるのが遅くなっているような気がしている。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆自分の横着さが第一の理由だが、年賀状を書く前に気になるのが「年賀欠礼状」である。例年、１１月の中ごろから届き始めるが、年とともに増えているような気がしてならない。遠くにある友人、知人たちも同じように年を重ね、ましてその親となると…。さらにいたたまれないのが、同世代や後輩の遺族から届く葉書だ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆「新年のご挨拶を申し上げるべきところ、喪中につき…」。そう印字された葉書を受け取ると、どうしても新しい年へ向かう気分が萎え、その人との過去の日々へと誘われるようだ。若いころ法事の席で住職に「供養するとは、分かりやすく言うとどういうことですか」と尋ねたことがある。住職は若い私に丁寧に答えてくれたが、覚えているのは最後の一言だけだ。「要するに供養とは、亡くなった人を思い出してあげることです」。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆遠方からの年賀欠礼状には、初めてその人の死を知ることも少なくない。「便りがないのは、無事な証拠」とは、よく言ったものである。久しぶりの便りが、年賀欠礼になるとは。今年は自分の方から出さずに済みそうだが、既に何件かの訃報は届いている。その人たちの分も含め、何通かは受け取らざるを得ないのだろう。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆西欧には「時が過ぎるのではない。人が過ぎていくのだ」ということわざがあるそうだ。毎年のことながら、これから年末に向けては、人の死を思う時が増えてくるようだ。家の郵便受けを開けるのに、気が重くなる季節が近づいてきた。&lt;br&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</description>
      <pubDate>Fri, 4 Dec 2009 16:58:57</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>19　　　答えを求められない読書</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=HROOSK</link>
      <description>　&lt;br&gt;◆始業前の倉敷市立南中学校へ、先日お邪魔した。「朝の読書」の様子を見せてもらうためである。およそ２０年前に千葉県の高校の先生が提唱して、全国の学校に広がっていった運動だ。自分で選んだ好きな本を始業前に、１０分間黙読するのである。ルールは①みんなでやる②毎日やる③好きな本でよい④ただ読むだけ－があるぐらいだ。その後、学校に根付いたのだろうか？　実際に確かめさせてもらおうと、校門をくぐった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆朝の教室は、あちこちでワイワイ、ガヤガヤとざわついている。午前８時半、チャイムが鳴った。みんな一斉に自分の好きな本を出して、読み始めるではないか。ざわめきが突然消えて、教室は水を打ったように静かになった。先生が「本を出しなさい」など、声を出したわけではない。もちろん撮影用の大型テレビカメラが入ったからでもない。毎日の習慣になっていることは、その場の空気ですぐに分かった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆１０分の静寂の読書の時間が終わると、再びチャイムが鳴って１時間目の授業が始まった。動から静へ、そして静から動へ。そのメリハリは心地よく、感動的でさえあった。朝の読書推進協議会によると、全国で小中高の２万６,０００校、岡山県では小、中学校の９割近くが実施している。ただ高校は４割を切るそうだ。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆朝の読書の成果は、読解力が向上した、他の授業にも集中力が出た、落ち着きが出た…などさまざまに報告されている。生徒は決して活字嫌いではない。きっかけさえ与えてやれば、本好きになる。その好例ではないだろうか。なぜここまで広がったかについては、「ただ読むだけ」に求めたい。本を読んで、感想も、解釈も、答えも、求められないのだ。実際、答えが付きまとう国語の授業で、本が好きになった人は少ないのではないだろうか。自分の例で言っても、まず文法ありきの古文（日本の古典）は、残念なことに長く遠ざけてきた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆子どものころは、好きな本を、自由に読む時間を持ってほしい。朝の読書でも、本を読むことは面白いことなんだと、感じることが一番なのだろう。ぜひ面白い本、人生を決めるような一冊の本に出合ってほしい。１０月２７日からは「読書週間」。</description>
      <pubDate>Fri, 4 Dec 2009 16:57:51</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>18　　　倉敷と沖縄をつなぐ心</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=HROTKY</link>
      <description>◆１９２１年、大正１０年の生まれというから、今年で満８８歳になる。その品の良い、凛とした話しぶりに魅了された。沖縄・芭蕉布の人間国宝、平良敏子さんである。何より「人を想う」気持ちがしみるように響いてきて、自社番組であることも忘れ、何度か涙がにじんできた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆ＫＣＴワイドで年間企画として取り組んでいる「大原總一郎生誕１００年記念シリーズ」の第２部が、１０月から始まった。スタートの３週にわたって登場していただいたのが、平良さんだった。大原總一郎評伝や芭蕉布の解説書で多少の知識はあったものの、平良さん自身の言葉で聞く「倉敷と沖縄のかかわり」が情の通った物語として浮かび上がってきた。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆平良さんたち沖縄女子勤労挺身隊が、倉敷に来たのは１９４４年のこと。六十数年の時が流れたというのに、平良さんの思い出は全く色あせていないようだった。それだけ大原社長が従業員のためを思い、遠く沖縄から来た女性たちのことに心を砕いたのだろう。戦後、会社自体の再建が大変な時に「酒津に沖縄娘村をつくりたい。倉敷に沖縄の文化を残したい…」と提案した大原社長の姿が、平良さんの中には今も生き続けているのだろう。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆「沖縄に帰っても沖縄の織物を守ってほしいなあ」。倉敷で外村吉之介氏らから２年間、織りを学んだ平良さんたちが、倉敷を去る日に大原社長が、そうつぶやいたそうだ。「普通ならこれだけ勉強させたんだから、やらなくちゃあいかんと強制するはず」。ところが、大原社長が優しくつぶやいたことが、平良さんと芭蕉布の将来を決定付けた、というエピソードも興味深かった。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◆芭蕉布は、戦前は沖縄各地で織られていたという。壊滅状態だった芭蕉布を平良さんらは復興させ、昭和４８年には「喜如嘉の芭蕉布」は国指定重要無形文化財となる。「偽りのない仕事をして、ご恩返しにかえさせていただきます」。平良さんの「凄さ」を通して大原さんの「大きさ」が見えるようだった。１１月３日の大原企画・特別編成の中で、再放送する予定になっている。&lt;br&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</description>
      <pubDate>Fri, 4 Dec 2009 17:01:40</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>17　　　地方主権の時代へ向かう地方議会</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=OSKYMG</link>
      <description>◇鳩山・民主党政権がスタートしました。戦後初めての本格的な政権交代であり、日本の政治・行政システムの大転換を目指す新政権が、どういう方向に国民を導いていくのか。いつもの政権誕生とは全く違う空気が漂い始めている、というのが実感でしょうか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇鳩山首相は「官僚依存を脱した政治を実践するための大きな船出だ」と表現しました。私自身、２０年前に少しの期間でしたが、中央官界の代名詞である東京・霞が関の取材をしたことがありました。中央省庁からの予算配分と事業採択を待つ地方という上下関係に、何とかならないものかと思ったことが再三ありました。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇民主党の「政策集」の分権改革の項には、「国と地方の関係を『上下･主従の関係』から『対等･協力の関係』に改める」と明記しています。原口･新総務相も、国から地方へのひも付き補助金の廃止をはじめ、地方が自由に使える一括交付金の導入、国の直轄事業の負担金制度廃止などに取り組むと明言しています。地方分権を実行に移せるか、いきなり大きなヤマを迎えるようです。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇奇しくも新政権誕生の４日後の９月２０日、政権交代後では最初の地方議会選挙=総社市議会議員選挙がありました。鳩山政権は「地方の自由度を大幅に高め、地方が自由に使える財源を確保することで、地方が主体の地方再生を支援する」と約束しているのです。とかく形骸化が言われる地方議会へ、大きな奮起を求めるものだと受け止めたいものです。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇地方の課題は地方で暮らす人間が一番良く分かっているのです。地方議会は行政のチェック機関といわれますが、車の両輪のもう一方の主軸としての役割があるのを忘れてはいけません。地方主権の時代へ向けて、市町村の全体を見通しながら住民の声を吸い上げ、政策提言していく積極的な姿勢が求められるのではないでしょうか。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</description>
      <pubDate>Fri, 4 Dec 2009 17:04:52</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>16　　　白黒の中の色彩の世界</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=OSKKCH</link>
      <description>◇初めて大原美術館に入ったのは、中学１年生の時でした。今からほぼ５０年前、絵が好きだった母に連れられて行ったことを覚えています。その時に美術館で受けた強い印象は、いまも鮮明に残っているのです。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇窓のない土壁の蔵ばかりが続く細い道を歩いた先に、その美術館はありました。「美観地区」という呼称も、「白壁の町」という愛称もなかったころです。全国的な観光地になるのはまだまだ先のことだったようで、人影もまばらな、色のない寂しい町というのが偽らざるところでした。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇そんな町の中で出合った色彩豊かな絵の数々…。「どうしてあの絵がこんな田舎にあるのだろう」。美術の教科書や学校の図書館の美術全集で見たことのあるような名画の数々がそこにはあったのです。それも１点や２点ではないのです。絵の価値など分からない中学１年生でも「なぜ倉敷に」と、不思議な気持ちになったものでした。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇４０年近く前に倉敷市民となってからは、何度足を運んだことでしょう。「きょうは『棟方志功』だけ見よう」「フォンタナ『空間概念　期待』の日に」。そういった贅沢な楽しみ方が出来たのも、地元の美術館ならではのことでした。遠くからの来客があると、まず案内するのが「大原」でした。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇その大原美術館で現在、大原總一郎生誕１００年記念展「大原總一郎の美術館創造」が開かれています。戦後の美術館の発展に力を注いだ總一郎の収集作品が、年代順に展示されています。何度も見てきた作品ばかりなのですが、改めてその凄さに新鮮な感動を受けました。初めて作品に向き合った時の「収集家の眼」を意識しながら見たせいかもしれません。その収集家「大原總一郎生誕１００年特別企画シリーズ」の第２部は、１０月１日からのＫＣＴワイドで毎週木曜日に放送します。</description>
      <pubDate>Fri, 4 Dec 2009 17:00:01</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>15　　　夏の終わりに</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=OSKEHM</link>
      <description>◇空を見上げて物思いにふける…。若いころはそんなこともあったかもしれませんが、最近は空を見上げるといえば、雨の心配をする時ぐらいになりました。それが今年の夏は、空と雲を強く意識させられる映画に出合いました。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇細田守監督のアニメ「サマーウォーズ」です。映画は長野県上田市の山奥にある広大な屋敷で暮らす大家族と、インターネット上の仮想都市を並行して描いていきます。無機的な仮想都市に比べ、信州の優しい山並みを背景にした大家族間の人間くさいやり取りが何とも心地良く伝わってきました。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇特に印象的だったのが、真っ青の夏空にモクモクとわき上がる入道雲です。屋敷の縁側で語り合う若い男女を見守るように立ち上がる雲は見事でした。「そうだ。夏休みの日の入道雲は、こうだった」。遠い日の記憶が、アニメによってさらにデフォルメされ、呼び覚まされるようでした。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇９月に入っても厳しい残暑が続いています。だが、空には秋の気配が漂ってきました。天に向け背を伸ばす勢いだった入道雲は日に日に少なくなり、刷毛（はけ）で掃いたような綺麗な絹雲が目立ってきました。秋は横に流れる雲が増えてきます。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇初回は夕方午後５時から生放送の「ＫＣＴワイド」では、オープニングやエンディングで天カメ（お天気カメラ）の映像をお届けしています。倉敷市中島にあるＫＣＴ情報センター屋上にあるカメラが映す倉敷の空と街並みです。日々、夏から秋へと、形を変える雲の姿を映し出しています。それも夜の帳（とばり）に包まれた映像に変わっていくのも間もなくなのですが…。</description>
      <pubDate>Fri, 4 Dec 2009 17:05:28</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>14　　　かつて首都機能移転論議があった</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=OSKKGW</link>
      <description>◇かつて「首都機能移転」あるいは「国会等の移転」が、大きな議論になったことがありました。１９９０年の国会決議以降、十数年近く議論は続いたでしょうか。移転候補地では、誘致をめぐっての駆け引きもありました。なぜか西日本にはその候補地はなく、岡山県では一般に関心は薄かったようです。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇戦後何度か首都機能移転構想が浮上したことはありました。９０年代の議論は、バブル期の東京の地価高騰や大地震発生時のダメージ分散、そして東京一極集中の是正などの観点から、かなり現実的な議論が進んでいたようです。首都機能移転担当大臣なるポストも存在していました。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇当時、東京の永田町や霞ヶ関界隈を歩くと大変な矛盾を感じたものです。というのは、あれほど首都機能移転を言いながら、老朽化した首相官邸や中央省庁の庁舎が、次々と建て替えられていたのです。「どこまで本気で移転する気があるのか」「もしそれでも移転するのなら無駄な二重投資になってしまう」など何をやっているのかと、疑問が次々浮かんできました。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇結局この問題、６年前に衆参の特別委員会で「移転は必要」としながらも、「最適の候補地が絞り込めない」などの中間報告を採択しました。これを最後に以後、国会で実質的な議論は行われなくなり、凍結状態にあるというのが実際のようです。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇今回の総選挙で争点の一つとなっている「地方分権」は、首都機能移転とは別次元の問題でしょう。だが、「地方分権」が東京一極集中是正の有力な手立てになるのは間違いありません。８月３０日の国民の審判を経て誕生する新政権には、かつての首都機能移転論議をのみ込むような「地方分権」論議を深め、実行へ移すことを期待したいものです。</description>
      <pubDate>Fri, 4 Dec 2009 17:07:38</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>13　　　昭和30年代は原点であり、出発点</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=OSKHKS</link>
      <description>◇後楽園の入り口、岡山県立博物館で開かれている企画展｢昭和のくらし―50年前のおかやま｣を見ました。昭和30年代を子どもから少年として生きてきた一人としては、懐かしさというよりは、「原点」とか「出発点」という言葉が浮かんできました。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇昭和30年代というと、猛烈な勢いで家庭内が電化されていった時代です。当時、三種の神器と呼ばれた白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機の当時の型が展示されていました。高価なテレビは一般家庭ではなかなか買えず、私の町には映画館ならぬテレビ館というのがありました。ごく普通の家で営業していたようで、１時間で５円か、10円でした。当時のヒーローは言うまでもなく力道山でした。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇家電は主婦たちをしんどい家事から徐々に解放していったといいますが、子どもたちも随分その恩恵にはあずかったと思います。くど（かまど）や七輪(七厘)、風呂のたきつけに使う落ち葉（枯れ松葉が一番）を山に集めに行ったり、薪割りをしなくてもよくなりました。中でも、古代から直火で煮たり、蒸していた米を、電気釜で炊くようになったのは大変な出来事だったようです。ご飯を直火で炊いていた時代を知る団塊の世代を“最後の縄文人”と呼ぶ人もいるほどですから。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇昭和32年に現在の岡山県庁が完成した記念に開かれた岡山産業文化大博覧会の写真やパンフレットもありました。マジックハンドと北海道のマリモにびっくりしたことを今でも覚えています。カモ井のハイトリ紙の粘りを竹の先に付け、セミ取りに使ったこともありました。子どもたちの間で人気だったカバヤ文庫は、読書への門を開いてくれた最初のものでした。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇企画展の案内には「人々が明日への希望を持ち輝いた時代でした」と綺麗にまとめてくれています。要するに貧しかったのであり、何とか便利で、豊かな暮らしをと、もがいていた時代であったようにも思います。同時に便利さを手に入れることによって、失っていくものも確かにあったと感じさせられる企画展でした。この｢昭和のくらし｣展は、盆明けのＫＣＴワイドでも詳しく紹介する予定です。</description>
      <pubDate>Fri, 4 Dec 2009 17:08:09</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>12　　　時代を見通す海舟の言葉</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=OSKOKA</link>
      <description>◇「今日世間でがやがやいっているのも、その起こりを尋ねれば、ひっきょう財政困難ということに過ぎないのだ」。長老政治家の発言かと思われるかもしれませんが、実は幕末・維新・明治の政治家、勝海舟の言葉なのです。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇海舟は続けます。「おれも幕末において自ら経験したことがあるから…ひどく胸にこたえる」（勁草書房｢勝海舟全集１４＝『氷川清話』」）。海舟といえば咸臨丸で太平洋を横断しての渡米、坂本龍馬ら脱藩浪士の発掘、西郷隆盛と会談しての江戸城無血開城など、幕末・維新を語る上で欠かせません。幕臣でありながら幕府の崩壊を見通し、まさに来るべき時代を描いていました。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇明治３２年まで生きた海舟による｢氷川清和｣は、隠居の身となって自由に好きなことを語っています。明治２０年代に新聞や雑誌は、競って海舟談話を載せたといいます。その先見性と悠然とした政治論は、今読んでも示唆に富んでいて面白いものです。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇外交、内政、それに行政改革や地方自治まで発言しています。国政選挙に限らず、最近の選挙でほとんどの候補者が口にする｢改革｣についても語っています。｢改革ということは、公平でなくてはいけない。そして大きいものから始めて、小さいものを後にするのがよいよ。言いかえれば、改革者が一番に自分を改革するのさ」&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇改革を進める上での政治家の秘訣を海舟は言い切っています。「ただ誠意正心をもって現在に応ずるだけのことさ」。８月１８日の衆院選公示が近づいてきました。立候補を予定している皆さんにも、聞いてほしい海舟節が続きます。</description>
      <pubDate>Fri, 4 Dec 2009 17:08:50</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>11　　　暑い！　犬の日々</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=OSKHRO</link>
      <description>◇「土用」は、それぞれの季節の終わりの１８日間をいうそうです。立春、立夏、立秋、立冬の前、つまり年に４回あります。とはいえ「土用の丑の日」のウナギが季節の営みとして有名なため、今では立秋前の「夏の土用」を指すことが多くなったようです。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇「土用」を和英辞典で引いて「dog days（犬の日々）」とあったのに驚いたことがありました。改めて英和辞典でdog daysを調べると、「土用」のほか、「暑中、盛夏。おおいぬ座のシリウスが、太陽とともに上る時期」などとあります。シリウスの語源には、焼き焦がすという意味があるそうですから、一番暑いころを指すのでしょう。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇犬といえば我が家の老犬（ビション・フリーゼ）は、アフリカ北西沖の諸島が原産だそうで、日本の暑さはからきしダメなようです。例年通り、綺麗さっぱり毛を刈ってやりましたが、この暑さに舌を出して動きが鈍くなるばかりです。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇毛皮をまとっている動物達は、さぞや大変でしょう。漱石「吾輩は猫である」の猫は、「こう暑くては猫といえども遣りきれない」と嘆いています。イギリスの作家が言ったという「皮を脱いで、肉を脱いで骨だけで涼みたいものだ」を引用しながら、「一度ぐらい行水を浴びたいし、うちわも使いたい」とうめいています。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇クーラーのない１００年以上も前の小説ですが、漱石にかかると暑さと向き合う姿もユーモラスです。さて、梅雨が長引いているだけに、本当の炎天はまだこれからでしょうか。８月７日の立秋は、すぐそこに近づいてきましたが…。</description>
      <pubDate>Fri, 4 Dec 2009 17:09:25</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>10　　　テレビ漬けの日々</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=OSKOSK</link>
      <description>◇⑨を書いてからずいぶん時間が経ってしまいました。実は前回「１９０９年生まれの人たち」を入力した、その夜から未明にかけて、突然の下血に見舞われたのです。この年まで胃腸については特に問題もなかったので、少々うろたえてしまいました。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇早朝、救急外来に駆け込み、腹部超音波検査や大腸内視鏡検査（モニターを見せてもらいましたが、腸のあちこちに血の塊が見えるだけです）を受けましたが、原因が分かりません。緊急入院となり、絶食と点滴で再検査に備えることになりました。ところが、４日目に再び出血し貧血状態に。ついに輸血が必要になりました。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇私事を長々と書いてしまいましたが、診断結果は「大腸出血（大腸憩室症、直腸潰瘍）、貧血」。担当医は一日も欠かさず病室を訪ねてくださり、おかげで１８日間の入院で無事退院となりました。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇この１８日間は、テレビ漬けの日々でした。特に出血の原因が分かるまでは、あれこれ考えると落ち込みかねないので、一日十数時間は見ていました。解散までの政局を各局はどう伝えているのか、たっぷりとウオッチングすることが出来ました。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇改めて思ったのが、「テレビは時代とその土地の空気を映す」ということです。手前味噌ながらＫＣＴの画面からは、東京や大阪からの電波では味わえない倉敷、総社、玉野の持つテンポが伝わってきて心が穏やかになりました。そしてベッドの上で願っていたのは「早くこのいつもの日常の空気の中に戻りたい」でした。</description>
      <pubDate>Fri, 4 Dec 2009 17:09:54</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>9　　　１９０９年生まれの人たち</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=OSKTKY</link>
      <description>◇松本清張ブームが繰り返される度に「ミステリーファンでなくても、清張は読まれる」と言われてきました。私もその一人だったようです。もちろん推理小説は面白いのですが、社会派の凄みが出た「日本の黒い霧」「昭和史発掘」などノンフィクションにも圧倒された覚えがあります。まさに昭和を代表する作家でした。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇昭和といえば、太宰治も欠かすことは出来ません。何度読み返しても、引き込まれるものがあります。さらに昭和も戦後ということになると、評論家の丸谷才一氏が「戦後最高の作家は、やはり大岡昇平なのではないか」と語っていたのを思い出します。「俘虜記」「レイテ戦記」「天誅組」、それに何といっても「野火」は忘れられません。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇５０年にわたって未完の大長編「死霊」を書き綴った埴谷雄高もいます。存在や宇宙を語る形而上小説といわれています。数年前にやっと読み終えましたが、難解で、正直混乱しました。「幻視のなかの政治」「不合理ゆえに吾信ず」などの思想・評論集は、団塊の世代の学生時代は必読書のようでもありました。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇以上、活躍の時期も、場所も、視点も、作風も全く異なる４人の作家には実は共通点があります。１９０９年生まれ、つまり今年が生誕１００年になるのです。夭折した「山月記」「李陵」などの中島敦も同じ年の生まれです。作家以外でも、岡山県生まれの秋田書店の創立者・秋田貞夫、映画評論の淀川長治、漫画家・横山隆一、作曲家・古関裕而、写真家・土門拳など、実に多彩な顔ぶれです。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇ＫＣＴワイドでは毎週水曜日に「大原總一郎生誕１００年記念企画」をお送りしています。その大原・元倉敷レイヨン（現クラレ）社長の７月は誕生月であり、２９日が満１００歳の誕生日です。１９０９年生まれの人たちが、共通した時代の空気と流れの中で、どのように生き、考えていたのか。大原總一郎像を浮き彫りにする上でも、振り返ってみたいと思います。</description>
      <pubDate>Sat, 5 Dec 2009 09:35:10</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>8　　　目的なしに乗りたい</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=HKD</link>
      <description>◇２０年前、東京で電車通勤していたころの話です。電車を三つ乗り換えて、都心まではおよそ１時間でした。通勤時間が１時間というのは、恵まれていた方でしょう。それでも、かの大都会のラッシュのこと、慣れるまでには何度も面食らい、疲れました。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇自分が乗る駅での初日のこと、ギュウギュウ詰めの電車が到着しても、誰一人として降りてこないのです。何とか体を押し込みましたが、「乗れないのか」と慌てました。後で先輩から、体を後ろ向きにドアの内部の上に両手を入れ、腰をグイッと押し込むのがコツだと教わりました。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇ドア付近でぼんやりしていると、降りる人の流れに押されて違う駅のホームに何度押し出されたことか。階段の上り下りは、都会人は早足です。ラッシュ時はエスカレーターでも歩くのが普通、それ以外でも歩く人のために片側を開けておくのが常識だそうです。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇電車内では新聞はおろか、文庫本さえ読めるスペースがありませんでした。苦行のような通勤生活、何十年も続けざるを得ない人が多いと思うと、３年で終止符を打てたことに感謝したい気持ちになります。地方で生活する、それだけで「得」なことはいっぱいあります。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇ＫＣＴで６月中旬から放送している特別番組「走れ！リンテツ～水島臨海鉄道キハ２０に乗って～」を見ると、なぜか通勤生活時代を思い出します。リンテツに初めて乗車した時、「この列車には、また目的なしで乗りたい」と思ったものでした。何事もスピードが求められる時代にあって、この「ゆっくり進む」リンテツのリズムは愛おしくさえあります。</description>
      <pubDate>Fri, 4 Dec 2009 17:11:03</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>7　　　ひとつ　俳句でもひねって</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=YMG</link>
      <description>◇吉田拓郎のフォークの名曲「旅の宿」（岡本おさみ作詞）の２番に、俳句のことが出てきます。「ああ風流だなんて　ひとつ　俳句でもひねって」。この歌が出たのは１９７２年。７０年前後の「社会に意義あり」と吹き荒れた若者たちの季節に、別れを告げるような響きがあったのを覚えています。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇日本語がある程度読める外国人が、日本の新聞を見ると「日本は詩人の国ですか」と、驚くという話を聞いたことがあります。なるほど、新聞には毎日のように読者の投稿による俳句、短歌、川柳が載っています。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇「短歌をする人は全国に百万人、俳句はその１０倍の１千万人はいると言われてます」。数年前、歌集「無援の抒情」や評論集「百年の恋」などの歌人・道浦母都子さんに会った時、そう教えてくれました。すごい数字です。確かに世界最短の詩といわれる俳句は、幼いころから耳にしてきて、「きっかけさえあれば、自分も」という垣根の低さはあるようです。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇倉敷商工会議所内の吉備の国クラスター協議会が、ＫＣＴなど地元メディアが共同で企画展開した「くらしき百景」を題材にした俳句を募集しています。採用された俳句を使って、来年秋には「くらしき巡りカルタ」をつくるそうです。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇五・七・五の言葉の調べと、季語による季節感が、「百景」をさらに豊かなものにしてくれるのは間違いないでしょう。ＫＣＴでは現在、「百景」の短編集を流しています。映像をきっかけに現地を訪ね、「ひとつ　俳句でもひねって」というのはどうでしょうか。</description>
      <pubDate>Fri, 4 Dec 2009 17:11:30</pubDate>
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      <title>6　　　五月雨（さみだれ）のころ</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=KCH</link>
      <description>◇６月９日、中国地方が梅雨入りしました。暦の上ではとっくに夏になっているとはいえ、実感としては春でも夏でもないシーズンに入ったようです。暑さになじみ始めていた体が、思いがけない梅雨寒（つゆざむ）に、身をすくめることがあるのもこの季節です。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇「日本は四季というより、梅雨を加えて五季がある」といったのは、日本文学研究者のドナルド・キーンさんでした。じめじめと、うっとうしい日々が続く梅雨ですが、雨は稲を生長させ、草木の若葉をいっそうたくましく育てていきます。雨は、命のはぐくみを感じさせてくれます。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇詩人の高橋順子著「雨の名前」を読むと、私達はなんとたくさんの、表情豊かな名前の雨とともに生きているのかと感心します。中国から梅雨（ばいう）として伝わった６月から７月にかけての長雨の季節にも、「走り梅雨」「迎え梅雨」「青梅雨」「送り梅雨」「男梅雨」「女梅雨」「返り梅雨」など多彩です。雨の「顔」まで、細やかに見えてくるようです。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇梅雨がないといわれる北海道にも、たまに「蝦夷梅雨」という現象もあるそうです。あってほしくない「暴れ梅雨」「荒梅雨」「空梅雨」というのもあります。梅雨にはまた、陰暦の５月ごろに降る長雨から「五月雨（さみだれ）」という美しい名前もあります。梅雨は時候のことを含めて言いますが、五月雨は雨そのものを言うようです。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇小説家で詩人の佐藤春夫に「さみだれ」という詩があります。その一節で「きのふ、けふ、よし味気なくとも待てば晴るるさみだれに、あすの初夏の光をねがへ」と詠んでいます。</description>
      <pubDate>Fri, 4 Dec 2009 17:12:00</pubDate>
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      <title>5　　　大原さんと「経世済民」</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=EHM</link>
      <description>◇「経済」という言葉は、「経世済民」から来ています。「世の中を治め、人民の苦しみを救う」と広辞苑にあります。明治以降、「経済」と訳されたエコノミーは、語源のギリシャ語では「家の管理」、ひいては「共同体の在り方」を示すそうです。経済とは、利己的な金もうけ、利益の確保とは違う、本来は人を幸せにする仕組みを追求するものなのです。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇改めてこんなことを書くのもここ何年かの経済の動向が、本来の意味から遠く離れていると思わざるを得ないからです。市場原理は新自由主義とグローバリズムという＂美名＂のもとに世界中を呑み込み、格差は拡大するばかり。金融資本主義は簡単に国境を越え、環境破壊にも歯止めがかかりそうもありません。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇評判になったロバート・ライシュ著「暴走する資本主義」、中谷巌著「資本主義はなぜ自壊したのか」などが、のたうつような世界経済の様相を描いています。そして昨年のリーマン・ショックに端を発した１００年に一度といわれる金融危機、経済危機。これは「経世済民の危機」と言い換えたほうが分かりやすいようです。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇毎週水曜日のＫＣＴワイドで「大原總一郎生誕１００年企画」がスタートしました。関係の深かった人やゆかりの土地を訪ね、倉敷が生んだ稀有な実業家、文化人の業績や人物像、その哲学、思想に迫ろうというものです。大原さんの企業活動を支えた信念をはじめ、自然との交信と環境保全、豊かな文化的見識、町並み保存、中央と地方の関係など、その先見性には驚かざるを得ません。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇亡くなって４０年以上経つのに、残された言葉の数々は、今の時代を厳しく戒め、私たちを強く励ましてくれるようです。大原さんとともに「経世済民」の本来の意味を問い直していきたいと思っています。</description>
      <pubDate>Fri, 4 Dec 2009 17:12:30</pubDate>
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    <item>
      <title>4　　　まっこと熱いぜよ、倉敷は！</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=KGW</link>
      <description>◇「燃えにくい」「冷めている」…。岡山の県民性を指して、そんな言われ方をすることがあります。２０年以上前、岡山県自ら「燃えろ岡山」のキャッチフレーズで、県民運動を展開したことがありました。「冷めた県民性」を認めたからこそ、と皮肉られたりしましたが…。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇そんな偏見を吹き飛ばすような、客席と舞台が一つになった熱い光景を今年は立て続けに二つ見ることが出来ました。一つは３月の倉敷音楽祭のメーン、倉敷市芸文館での沖縄の現代版組踊「肝高の阿麻和利」です。中高校生が演じるミュージカルで、熱気あふれる感動的な舞台でした。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇終幕後、客席はスタンディング・オベーションで応えました。ロックのライブで初めから立ちっ放しという経験はありますが、倉敷で総立ちの観客が拍手する場に居合わせたのは初めてのことでした。演じた中高校生たちもみんな感極まって泣いていたようでした。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇もう一つは５月１２日に倉敷市芸文館で行われた、わらび座ミュージカル「龍馬！」です。薩長同盟から龍馬暗殺までを、質の高い演技と歌、踊りで一気に見せました。そしてカーテンコールでサプライズがありました。主催の市民たちでつくる実行委員会が、パンフレットに挟んでいた青と白の紙が、あちらからも、こちらからも振られ始め、劇のラスト・桂浜に呼応するように、客席全体が見事な海と波になっていく様は感動的でした。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇主催者側は「恥ずかしがらず、まさかここまで皆さんが振ってくださるとは」と涙されていました。演じた側も「客席にこんなに感動させられるとは」と、号泣した女優さんもいたそうです。事前の公演準備で倉敷に来た際、ＫＣＴワイドにゲスト出演してくれた龍馬役の上野哲也さんは、わらび座ブログに土佐弁で書いてくれています。「まっこと熱いぜよ、倉敷は！」</description>
      <pubDate>Fri, 4 Dec 2009 17:13:01</pubDate>
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      <title>3　　　ライカ同盟、来襲！　　　　　　　　　　　</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=HKS</link>
      <description>◇美術家で作家の赤瀬川原平さん、美術家の秋山祐徳太子さん、それに写真家の高梨豊さん。この三人でつくる写真愛好家集団「ライカ同盟」が、昨年の秋から「倉敷」を撮っていることはニュースで何度かお伝えしてきました。三人は倉敷商工会議所創立８０周年の記念イベントで今年秋に開催する写真展「ライカ同盟　ライク・ア・クラシキ」へ向けて、精力的な活動を続けています。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇このゴールデンウィーク期間中にも３度目の倉敷入りをし、２日から５日まで下津井や玉島などを取材して回りました。１７年前に結成されたライカ同盟ですが、観光地としての倉敷には興味がないようです。そこで暮らす人、生活の形、街の空気こそが、ライカ同盟のシャッターチャンスなのです。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇私は昨年秋の倉敷中心部の撮影の際、美観地区から本町、鶴形を通って倉敷駅方面まで同行させてもらいました。路上観察学でも知られる赤瀬川さんが、ライカ・カメラを手に「美観地区を出ると俄然面白くなってきた」と話していたのが印象的でした。主催者の狙いも、観光ＰＲ写真にあるわけではないでしょう。まして絵葉書的な美観地区の写真は、もう十二分に見てきているのですから。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇ファンからは「この三人の手にかかれば心配無用」の声が聞こえてきそうです。私が今から４０年前に見た秋山祐徳太子さんのポップ・ハプニング「グリコ」は、強烈でした。路上でランニングと短パン姿で右手を掲げ「グリコ！」と叫ぶだけです。一見ナンセンスだけど、突飛な行為の中に湧き上がる笑いとペーソスが忘れられません。秋山さんは東京都知事選にも２度出馬し、「泡沫候補」と揶揄（やゆ）する声を逆手にとって、政治のポップ・アート化に挑んだこともありました。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇ライカ同盟は、８月に最後の倉敷取材・撮影をするそうです。このひと味も、ふた味も違う７０歳代三人衆が、どんな「倉敷」を見せてくれるのか、今からワクワクしてきます。</description>
      <pubDate>Fri, 4 Dec 2009 17:13:34</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>2　　　旅情ミステリー</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=OKA</link>
      <description>◇西村京太郎の近刊「吉備　古代の呪い」を読みました。総社市に住むアマチュア郷土史家が発表した小説が、殺人事件に発展するというのが大筋です。ミソは、その小説というのが、おなじみの「温羅伝説」「稚媛伝説」を大胆に解釈したところでしょうか。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇ミステリー作家に言わせると「白壁の町・倉敷や吉備路は、ミステリーの舞台にふさわしい」ようです。確かに倉敷は旅情ミステリーとか、トラベルミステリーと呼ばれるジャンルで、よく登場しています。小説上の事件の舞台とはいえ、地元に住む者には「なんでおどろおどろしい事件ばかり」と、少々ゆううつです。古里がどのように描かれているのか気になります。何しろ地元にとっては「旅情」というより、「ご当地ミステリー」になるのですから。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇内田康夫「倉敷殺人事件」、木谷恭介「倉敷美術館殺人事件」、和久峻三「倉敷殺人案内」、西村京太郎「尾道・倉敷殺人ルート」「倉敷から来た女」、山村美紗「山陽路殺人事件」、梓林太郎「倉敷・宮島殺人回廊」など、名立たる作家たちが倉敷を描いてきました。つい乗せられるというんでしょうか、私も志茂田景樹「雨の倉敷殺人紀行」などは、本を手に“事件現場”を歩いたことがありました。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇ミステリーファンから聞いたところでは「倉敷は京都の次ぐらいに取り上げられる」そうです。つまり観光地としての人気度に比例している面があるようです。表面的な美しさだけでなく、歴史ロマンや謎を含んだたたずまいが、この土地の魅力を膨らませて、作家たちをくすぐっているのでしょうか。旅情ミステリーが、多面的に観光ＰＲに貢献していることだけは間違いないようです。&lt;br&gt;&lt;br&gt;◇「吉備　古代の呪い」は、岡山を描く久しぶりのご当地ミステリーでした。総社や倉敷が直接の事件現場になっているわけではありませんが、おなじみの地名や歴史上の人物が次々出てきます。このゴールデンウイーク、全国のファンをどこまで引き付けるか、楽しみです。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</description>
      <pubDate>Fri, 4 Dec 2009 17:14:04</pubDate>
    </item>
    <item>
      <title>1　　　スタートです。よろしくお願いします。</title>
      <link>http://tv.kct.jp/desk/detail.php?id=HRO</link>
      <description>　毎月初めの「ＫＣＴワイド」で、『今月のノート』を担当しています放送制作部デスクの森脇忍です。&lt;br&gt;　テレビ・コラムと銘打って始めた『今月のノート』ですが、１年たった今も「映像でどうコラムをつくれるのか？」と、手探りの状態が続いています。毎回、生放送です。つまり限られた時間内での、一発勝負のしゃべりがすべてです。もちろん、台本を書き、リハーサルもするのですが、本番となると、「話す」という行為は、時に言葉同士が刺激し合って、新しい言葉を飛び出させる場合があります。&lt;br&gt;　その点、今回スタートするインターネット上の『デスクコラム』は、いくぶんなりとも気は楽です。昔とった杵柄（きねづか）と言いましょうか、文字でつづるコラムは、新聞社時代にスクラップ・ブックにして数冊分は書かせてもらってきました。なにより締め切り間際まで、文字コラムは推敲（すいこう）が出来ます。&lt;br&gt;　今回からその両方で、視聴者（テレビ）、読者（ネット）の皆様とお目にかかることになります。地域の暮らし、息遣いの中から発信するコラムでありたいと願っています。どうかよろしくお願いいたします。&lt;br&gt;　　　　　　　　　　　　☆　　　☆　　　☆&lt;br&gt;　簡単に自己紹介をさせていただきます。&lt;br&gt;　広島県の因島生まれですが、両親は岡山県人です。何かと世間を騒がせてきた（いる）団塊の世代の一人です。何度か転勤がありましたが、倉敷市に暮らして通算で３０年が経ちました。昨年２月に山陽新聞社を退職し、３月からＫＣＴの一員に加えさせてもらっています。</description>
      <pubDate>Fri, 4 Dec 2009 17:14:47</pubDate>
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