戦国時代に常山城で命を絶った女軍たちの供養祭が、玉野市の常山山頂で行われました。
標高307mの常山には、かつて城が築かれていました。
天正3年=1575年に毛利家と織田家の戦いに巻き込まれ、毛利勢の総攻撃を受けました。その時、常山城主・上野隆徳の
妻・鶴姫が侍女34人とともに敵陣へ攻め込みましたが、最後は城に戻り自ら命を絶ったといわれています。
供養祭では、荘内地区の住民や玉野地踊保存会のメンバーなど集まった90人が、女軍の墓に線香を供え、想いを馳せながら手を合わせました。
そして、当時海だった児島湾干拓地をのぞみながら、玉野の地踊りかっからかを奉納し、女軍の霊を慰めました。
常山城で悲しい結末を迎えた女軍たちの墓は、昭和12年=1937年に地元住民などの手で建てられました。
その後、かっからかを踊る供養祭が昭和49年=1974年から始まり、今年で50回目を迎えました。
なお、来年は常山城が攻め落とされてから450年を迎えます。
      
    
 
       
           
           
       
       
       
      


