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立石おじさん おかやまの昔話

【第100話】 つらし・くらし

昔、大阪に備後屋という大きな店があったんじゃな。備後屋というお店はな、その何代か前の人が備後の国から大阪に出てきて商売を始めた。それがあたってな、だんだんだん、大きゅうなって、今では、大坂の町のうちで5本の指にはいるほどの大きな店になったんじゃ。いあや、店は、繁盛する。、その番頭さんというのは、たいそう働き者でな、知恵がある。次から次に新しいことをするのが、全部あたって、備後屋は、おおいに繁盛したんじゃ。旦那さんは、番頭さんが、よう働いて、よう繁盛さしてくれるもんじゃから、店のことは、全部、番頭さんにまかして、だんなさんは歌を作ったり、茶の湯を楽しんだり謡曲を唄うたりそういうことで、毎日を暮らしとんじゃな。ところが、ある日のこと、番頭さんがどこに行ったかおらんようになった。「そりゃーたいけんだ」いうておるうちに、次から次に、「この証文で、ここの家の品物をもらっていきます」「この土地をもらっていきます」「この店はわたしのもんです」というようなことになったんじゃ。慌てて、蔵の中に入って金をみたら、お金は、きれいになくなっとった。番頭さんが、女を作ってつぎ込む、その上にすべての財産を全部自分のものにしてどこかに逃げてしもうたんじゃ。そうなったら、奉公人も女中さんもみんないなくなる。奥さんも「あんたがしっかりしないからじゃ」というようなことで、夫婦別れをする。子どもたちもちりじりばらばらになって、旦那さんひとりだけになった。「もう、生きる希望もなにもない」それでも自分の祖先がやってきた備後の国に行って、それからもう一回考えよう、と思うて、わずか残ったお金を懐の中に入れて、西に向けて旅立ったんじゃな。何日も何日も、トボトボトボトボ、歩いてやっと、備中の国の足高村にやってきた。「あーくたびれた」道端に腰をかけて休んでふっとみると、その先がふたつに分かれとる。そこのところに道標がたっとる。「こりゃどこにいくんかな」とおもって、覗いてみると左はつらし「あー左にいったらつらいことばっかしか、じゃあ右にでも行こうか」右をみたらくらし「ありゃ、この世は、闇じゃ。左に行っても、右に行っても、つらかったり、くらかったり、もう生きる元気ものうなった」そういうことで、近くにあったお宮の階段を登って行って、境内の大きな木の枝に帯をかけて首吊りをしようと思うたんじゃ。その時にちょうど、そこの宮司さんが出てこられて、どうしたことなら問いただされたんじゃな。旦那さんはそのことを話をしたら「そうか、だけどな、つらし、くらしというのは、そういうことじゃないんじゃ、下の字が土に埋まっとんじゃ。左にいったらつらじま、みぎにいったらくらしきなんじゃ。あんたな、あんたの何代か前のひとは、無一文で備後から大阪の町に出てきて、今の大きな店をつくりあげたんじゃ。あんたは、ゼロからじゃないぞ。大阪に帰ったら、これまで人とのつきあい、絆がある、それに備後屋という看板もある。それを利用したらまたやり直すことができるぞ」そういわれて、帰りのろぎんも貸してくれたんじゃな。旦那さんは、思い直して、大坂に帰ってもう一回商売を始めた。そうしたところが、商売があたって、またどんどんどんどん、大きゅうなって前よりもっと大きな店になったということなんじゃ。そういう話がここの足高にはつたわっとるんじゃけどな。

最終更新日: 2012年5月22日(火) 20:27 担当者: 中塚美佐子

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