今から150年前の江戸時代末期、倉敷代官所や総社・浅尾藩の陣屋が襲撃された「倉敷浅尾騒動」が起きました。総社市井尻野の宝福寺では発生から150年の節目を記念して法要と講演会が行われました。
法要は浅尾藩陣屋襲撃にゆかりのある宝福寺で行われ、騒動で犠牲となった28人を供養しました。「倉敷浅尾騒動」は慶応2年4月、当時の倉敷村の年寄役を務め後に長州藩第二奇兵隊の幹部となった立石孫一郎が、およそ100人の浪士を引き連れ倉敷代官所と総社の浅尾藩陣屋を立て続けに襲撃した事件です。騒動を企てた立石孫一郎は倉敷代官所を焼き討ちした後、浅尾藩陣屋襲撃のために福寺に2晩宿を構えたと言われています。講演会では宝福寺の小鍛冶元慎住職が、浅尾藩を開いた蒔田広定と千利休の関係について話した他、倉敷市歴史資料準備室の大島千鶴さんが、立石孫一郎の人となりについて解説しました。大島さんは、立石孫一郎の別名は大橋敬之助で、大橋家の5代目当主大橋平右衛門正直の娘と結婚していたことや、その妻や子どもに宛てた手紙が騒動を起こした人物とは思えないほど愛情に溢れていたことなどを紹介しました。講演会に訪れた人は倉敷・総社地区での幕末の騒乱の話に興味深く聞き入っていました。




