戦争で犠牲になった玉野市民の冥福を祈る追悼式が玉野市総合体育館で行われました。
追悼式には、市内11地区の遺族や市の職員などおよそ200人が参列しました。
式では玉野市遺族会の三宅禎浩会長が追悼の言葉を述べました。
そして戦争で犠牲になった1320人に向けて参列者全員で献花を行いました。
玉野市は軍艦を作る造船所や砲弾の材料になる銅を精錬する日比精錬所などがあり、重要な軍用基地となっていました。
1945年4月には和田地区の社宅に爆弾が落とされ一瞬にしておよそ20人の死傷者が出たそうです。
戦後74年が経ち遺族の高齢化も進んでいます。
遺族会では悲惨な戦争を二度と起こさないように戦争の記憶を次の世代に語り継いでいきたいとしています。