玉野市の常山で、戦国時代に常山城を守ろうと戦い、無念の死を遂げた女軍の供養祭が開かれました。
常山城は、天正3年(1575年)に毛利家と織田家の戦いに巻き込まれ、毛利勢の総攻撃を受けました。
落城を前に、城主・上野隆徳の妻・鶴姫が、侍女34人と共に敵陣に攻め込みましたが、鶴姫は、最後は城に戻って自害したと伝えられています。
今年で46回目となる供養祭には、常山観光協会の大野彰一会長や玉野市の黒田晋市長をはじめ、地元住民などおよそ70人が出席しました。
今年は、新型コロナ対策として出席者を去年より30人ほど減らし、規模を縮小して開催されました。
出席者たちは、鶴姫や侍女に思いをはせ女軍塚に線香を供えました。
その後は、玉野市の地踊保存会と宇藤木地区の住民が、「常山落城記」の口説きに合わせて地踊り「かっからか」を奉納しました。
「常山落城記」には、常山城での戦いや鶴姫の「どうせ死ぬなら一太刀でも報いて死にたい」という思いなどが歌詞に込められています。
出席者たちは踊りを捧げ、無念の死を遂げた女軍を慰めていました。