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玉野市制80年の歴史を振り返る

玉野市は8月3日に市制80周年を迎えました。
玉野市の80年の歴史を振り返ります。

玉野市は岡山県の南端に位置し、瀬戸内海の美しい自然に恵まれた、風光明美で温暖な気候の造船と港の町です。現在、岡山県の27市町村のうち5番目に多いおよそ5万9000人が住んでいます。

玉野市は、1910年に国鉄宇野線が開通し、本州と四国を結ぶ宇高連絡船の町「宇野町」と1917年に三井物産の造船部が創業したことで経済的に栄え、人口も増えるなど発展してきた日比町のある玉地区の一文字ずつを取って名づけられました。命名に至るまではひと悶着もあったそうです。

最終的には県知事の決断によって1940年8月3日に「玉野市」が誕生しました。
その後昭和の大合併により3年にわたって山田村、荘内村、八浜町と合併、1965年に七区干拓地のうち現在の東七区、南七区が玉野市の区域になり、さらに1974年に東児町と合併し現在の形になっています。

玉野市が誕生した1940年は日中戦争から太平洋戦争へ向かっていた年です。
戦後の混乱の中1950年ごろからまちづくりが急速に進んでいきます。
当時の太田尚衛市長はは戦後の復興や市民の生活の安定のために幅広く施設を整備していきました。
1950年には市営競輪場を開設1952年に現在の市民病院である私立玉野療養所1953年には玉野海洋博物館の建設が行われました。
市制20周年を迎えた1960年には市民会館が開館太田市長は市内の道路や市電の整備も行い玉野市の復興と同時に発展にも大きな業績を残しました。

造船城下町として発展した玉野市。
1960年から1970年の間、人口は7万人を超えていきます。
山陽新幹線の開通や国道30号の完成は、玉野市の交通の利便性を一層高めました。
また、みやま公園も完成し、にぎわいをみせていました。

そんな波にのった玉野市に影を落とし始めたのは、1970年代です。
第二次オイルショックをきっかけに造船の不振が始まりました。
さらに追い打ちをかけるように瀬戸大橋が開通し、鉄道連絡船が廃止され、宇野と高松を結ぶ宇高連絡船の利用は激減していきました。
「港と船」をキーワードに発展してきた玉野市1990年以降新たな時代に突入します。
宇野港には、豪華客船が寄港するようにまた近年は瀬戸内国際芸術祭などでも盛り上がりをみせています。

戦後街づくりが急速に発展して60年。
施設の老朽化が進み建て替えや統合など再編整備が進んでいます。
市民会館は耐震基準をみたしてないため今年3月に閉館市民病院は三井病院と経営統合することが決まっています。
また、これまで市が運営していた競輪場は民間に業務委託し、2022年3月にリニューアルする予定です。
民間のノウハウをいかして海の綺麗な景色と白熱のレースを観戦できるホテルを併設したリゾート化に向けて工事が始まっています。
歴史ある港と船の街玉野、新しい街へと変化の時を迎えています。

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  • 放送日:2020/08/31(月)
  • 担当者:十亀遥
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