高橋大輔選手「あそこにリンクがなかったらスケートをしていなかった。小さい頃の思い出はスケートくらい。思い出がいっぱい詰まった場所」
サンピア倉敷、現在のヘルスピア倉敷のスケートリンクは、高橋選手の原点です。スケートリンクが完成した当初からアイスメイクを担当する石井基道さん。高橋選手の成長を裏方として支えた一人です。
石井さん「とにかく負けず嫌い。がんばっている姿が焼きついてはなれない。朝来れば大ちゃんがいる、夜にも大ちゃんがいる、おにぎりを食べる大ちゃんがいる、いろんな大ちゃんがここには・・・」
とにかく時間があればスケートリンクにいたという高橋選手。石井さんは、その頃の「大ちゃん」が今の「高橋選手」につながっているのではと、幼少時代の高橋選手を懐かしみます。
石井さん「お客様がたくさんいた中で、ホッケーの子どもたちと追いかけっこをしていたのが印象的。お客様を抜いて滑っていたのが今のステップにつながっているのではないかと」
その高橋選手を幼少時代指導したのが、倉敷フィギュアスケーティングクラブの佐々木美行監督です。小さい頃の「大ちゃん」をこう振り返ります。
佐々木監督「女の子みたいなかわいらしい男の子だった。小学校低学年のときはしっかり滑り込んでいた。高学年になってジャンプで頭角を現してきた」
高橋選手は中学生になると初の国際大会で優勝するなど、その才能を開花させます。全国中学校大会2連覇、そして中学生にして冬季国体少年男子で優勝と華々しい活躍を見せます。中学時代3年間を知る当時の校長・北村精三さんは当時の「大ちゃん」をこのように見ていました。
北村さん「彼は日本一になってもほとんど態度に表さなかった。学校では印象の薄い目立った子ではなかった」
スケートリンクでの輝かしい高橋選手の裏に、幼少時代から変わらぬやさしく内気な大ちゃんがいました。その後は、日本ジュニア優勝、日本人男子初となる世界ジュニア制覇、そしてシニア参戦と世界に大きく羽ばたいたことは言うまでもありません。
北村さん「高橋選手は私の宝、誇りに思う。トリノでの悔しい思いをはね返してほしい。そして金色に輝くメダルをぜひ倉敷に持って帰ってほしい」
石井さん「高橋選手もケガから復活。リンクもヘルスピア倉敷として復活。お互い復活した意味もあってぜひがんばってほしい」
佐々木さん「彼にとってとても大切なオリンピックになると思うので、自分の夢をしっかり叶えてほしい。ここまで支えてくれた人もたくさんいると思うので、その人たちにもよかったなと言ってもらえるような納得のいく滑りをしてほしい」