玉野市宇藤木の常山に祭られている『常山女軍』の供養祭が行われ、地元住民らが歌と踊りで悲しい最後を遂げた霊を慰めました。
山頂の城跡で行われた供養祭には宇藤木地区の住民や、玉野地踊保存会のメンバーなどおよそ80人が参加しました。
コロナ禍となったここ数年は、密を避けるため人数を例年よりも40人ほど減らして行われています。
常山は戦国時代に激しい合戦があった玉野市宇藤木にある標高307メートルの山です。
常山城は天正3年(1575年)、毛利家と織田家の戦いに巻き込まれ毛利勢の総攻撃を受けました。
落城を前に、城主の上野 隆徳の妻鶴姫が侍女34人とともに敵陣に攻め込みましたが、鶴姫は最後は城に戻り自害したと伝えられています。
参加者は合戦で悲惨な最後を遂げた人々の墓に静かに手を合わせていました。
供養祭は昭和12年に女軍塚が整備されたことをきっかけに始まり、地踊り「かっからか」と、地元住民がつくった「常山女軍の歌」の踊りが奉納されています。
歌と踊りを奉納し、霊を慰めた参加者は無念の死を遂げた女軍に想いを馳せていました。